連載
【ミートたけし】学びの喜びとは? 学問の先にあるもの
ミートたけし / 川村 竜 / ベーシスト,作編曲家 ,ストリーマー
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第25回:学びの喜びとは? 学問の先にあるもの
私が好きな話の一つに,「音楽」は元来「音学」だったというものがある。
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「音を楽しむ」音楽が,「音を学ぶ」音学だったころは,どんなものだったのだろう。
そもそも学問とは,人間がその究極的な探究の先に,最終的に神超越的な存在,あるいは世界の根本原理へとたどり着くためのものという考えだ。で,数学,科学,哲学,神学。そういったもののなかに音楽が音学として扱われていた時代は,どんなものだったのだろうか。
YouTubeなどでよく自分が口にする,「衣食住の外側にあるのが音楽」となっている現代よりも,もしかしたらほんの少しだけ価値が高かったのかもしれない。
なんて少したおやかな始まり方をして,格好つけてみましたご機嫌うるわしゅう皆様。
先日,真夜中の2:00に格ゲー界のソクラテスと呼ばれている(かどうかは知らないが)ハンサム折笠から急に赤羽に呼び出され,飛び込みで入ったスナックで若いママの前で泥酔したハンサムと完全シラフの私は,「教育」というテーマで激論を交わした。
あまりの盛り上がりに若いママはうつらうつらと船を漕ぎ,一緒にいたdango氏はWANDSの「世界が終るまでは…」を熱唱し続けていた。
この連載的にはもしかするとこのときの話を深掘ったほうが面白いのかもしれないが,私にとっては1日でも早く忘れたい思い出でもあるのでそれはまたの機会にしよう。
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そんなどうしようもない飲みの席でありながら,その中でもキラリと光った話題があった。
「知性とは先天的に備わっているものか。それとも後天的に備わっていくものか」というものだ。
環境が人の人生の良し悪しを占める割合
私の高校時代の話に少しお付き合いいただきたい。
高校在学中からプロミュージシャンとして賃金を頂いていたことはよく話しているが,実際にどのようにその環境にたどり着いたのかについて,もしかしたら興味を持っている人もいるかもしれない。
そもそもミュージシャンを志そうと思ったのは,高校2年生の終わりごろだったと思う。ベースを持ったその瞬間から割りとすぐに弾けた私は,自身の音楽的な趣味が理由で校内の学生とバンドを組むことはなく(要するに聴いている音楽がおじさんくさかった),大人とバンドを組んだり演奏をしたりという機会が多かった。
そして大人達は同級生達よりもお金も人脈も多く持っていて,いわゆるプロミュージシャンという人間達との関係も増えていき,高校生ながらプロの現場にも呼ばれるようになっていった。
それでも,技術面では自信もあったし結果も出せていたが,知識面においてはその少なさに焦燥感を抱いていた。音楽理論などはもちろんのこと,演奏するうえで必要な知識は山ほどあった。
その焦燥感を前に,本業である高校生活における勉学というものは,自分にとって足かせのようなものだった。
これは決して「生きてくうえで数学なんて必要ないジャーン!」なんていう,勉強ができないクソガキのへりくつではない。むしろ寿命が1000年なら,つまり自分に時間があるなら,数学も化学も,いろんなことを学びたい。今でもそう思っている。
だが当時の自分には,自分の描いていた人生設計においては,本当に時間がいくらあっても足りないほど,音楽に関する学びの時間が必要だった。ただプロになるのではない。一流のプロとして第一線で活躍するためには,10代のうちから鳴り物入りでその存在を示さなければ……。
そう考えた私は,その思いをそのまま数学と化学の先生にぶつけた。
「先生,勉強がしたくないんじゃないんです。僕には時間がないんです。どうか先生達の授業の最中に,音楽,楽典の勉強をすることを許してください」
と。
すると数学の先生も化学の先生も,
「テストで名前を書いたら29点あげるから2点は自力で取りなさい」
そうおっしゃってくださった。
うちの高校は30点以下が赤点で,3科目で赤点を取ると留年だった。つまり1問くらいは頑張りなさいよ,と背中を押してくれたのだ。
これが“環境”だ。
私は間違いなく“環境”に恵まれていたのだ。人生の中には大事な出会いが何度も訪れるが,この先生方に出会えたおかげで今の自分がいるのは間違いない。
天才だの世界的だのと自分を鼓舞しているが,あの時期を普通に過ごしてしまっていたら,今の自分は絶対に存在しないだろう。
人の学びを味わう喜び
先ほど,「時間があれば数学,化学も学びたい」という旨の話をした。これは実は,我々は日々学びを続ける“意味”において,ものすごくヒントとなる話だと思っている。
それはなぜか?
例えば“数学”に目を向けてみる。“数学”を学ぶ時間が作れずに,その楽しさやそれを駆使して人生を豊かにする方法を得ることができなかった私は,もう二度と“数学”からそれらのエッセンスを抽出できないのだろうか?
否。
実は一つだけ方法があるのだ。
それは“数学”を究めた人間の話を聞くということ。数学だけに限らない。スポーツ選手,格闘家,物書き,すべてに言える。一つのものに時間を費やし,一つのものを究めた人間と話をしていると,あるものを感じ,手にすることができる。
それは“共通点”だ。
どんな分野の方とお話しをしていても,必ず何かしらの“共通点”を感じられる。そしてその“共通点”こそが自分の背中を押してくれる。きっとこれは,相手にとっても同じことが言えるのだろう。私はこれを“才能と経験の等価交換”と呼んでいる。これこそが人生の意味であり喜びだとすら考えている。
自分が歩んでこなかった道を歩んできた人間の人生に思いを馳せ,想像し,それが自分の歩んできた人生を確かなものにし,そしてこれから歩む人生を照らしてくれるのだ。
私が音楽の道を歩んできたのは,誰かからキャーキャー言われるためでもなく(ウソ),お金が欲しいわけでもなく(ウソ),ましてや人にマウントをとるためでもなく(これはホント),こうやって人の役に立ち,人を幸せにするためなんだ(ほんとだよ?)。
どうしよう。
ものすごくいい話を書いている気がする。怖い。
照れ隠しついでに,やはり4Gamerでの連載なのでゲームに紐づけて話すと,プロ格ゲーマーとの会話のなかでも,やはり心を揺さぶる“等価交換”は何度もあった。
ふ〜どが家に遊びにきて格ゲーを教えてくれていたときのことだ。
格ゲーにおいて自分が端を背負う,背負わされる状況のことを,「画面端」と呼び,それは非常に不利な状況である。そんな「画面端」になってしまったときにどうすれば良いか? という相談をふ〜どにしたら,彼はこう返してくれた。
「画面端の時にどうするかよりも,画面端に行かないためにはどうするかを考えたほうがいいですね」
これにはかなりしびれた。カミナリが落ちた気分だった。トラブルの解決策も大事だが,もっと大事なのはトラブルが起きないようにすることなのだ。
音楽の現場においてもこの考えは非常に重宝できる。
この記事を読んでいる皆さんも,きっとご自分の経験にいろいろとリンクすることが多いではないか。
これが人の学びを味わうということなのだ。
皆さん,楽しんでお勉強しましょう
まさかおじさん3人で行った赤羽のスナックでの体験談から,こんな高尚なお話につながるなんて,近くで「世界が終るまでは…」を熱唱されているときには想像もしなかった。だから人生は面白い。
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この記事を読んでくださっている皆様も,日々,学びの連続だと思う。どうかその学びの先にある幸せを存分に噛み締めてほしい。
そしてあなたのその学びを私に吸収させてほしい。みんなの学びが,そしてその学びを作り上げる世界が,そう,世界の平和が私を守っているのだから。
次回は2025年最後の記事!
どうぞお楽しみにね!
| ■■ミートたけし / 川村 竜(ベーシスト,作編曲家 ,ストリーマー)■■ ベーシストとして国内外各所でライブやコンサートで演奏活動をしつつ,配信活動も活発に行っているミートたけしこと川村 竜さん。現在は主にYouTubeチャンネル「ミートたけし-MEAT TAKESHI-」とTwitchチャンネル「ミートたけしの『太くてニューゲーム』」で,雑談配信をしたりゲーム配信をしたりと大忙しの様子です。 |
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