
連載
研究者のゲーム事情:第8回は渡部宏樹さんと「ドラクエV」。メディア研究者が考える,ビアンカ/フローラ論争から学んだ「他者性」とは?
今回はメディア研究者の渡部宏樹さんにご登場いただき,往年の名作「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」(iOS / Android)について語ってもらった。「ビアンカ/フローラ論争」で知られる本作だが,そこには「他者性」を知るための手がかりが隠されているという。
「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」(1992年)は,現在でも続くドラクエシリーズの第5作である。物語の途中で,幼馴染のビアンカか大富豪の令嬢のフローラかを結婚相手として選ぶことになり,どちらを選ぶのかは今でも時たまネット上で話題になる。発売から30年以上が経っているためプレイしたことがない人もいるだろうが,このビアンカ/フローラ論争の話題性のため,どんな作品かを知っている人は多いかもしれない。
※以下にはゲーム本編のネタバレが含まれます。
父を喪った子が父になる
「天空の花嫁」以前の「ドラクエ」シリーズの基本的な設定は,プレイヤーが操作するキャラクターたる勇者が魔王を倒すというものである。しかし,本作では主人公は勇者ではない。勇者が魔王を倒すという話型をずらすことで,「天空の花嫁」はジャンルに対する自己言及性を獲得している。この点を確認するために,まずはあらすじを簡単に確認しておこう。
物語は――あるいは主人公の記憶は――小さな子供である彼が,父パパスと二人旅をしているところから始まる。二人を乗せた船が,どこかの寂れた港に辿り着く。港から迷い出た主人公は遭遇したスライムに襲われる。最弱のモンスターだが幼い主人公にとっては強敵であるスライムたちを,駆けつけた父パパスが難なく斬り払い,戦闘後には息子に回復呪文までかけてくれる。物語の冒頭で父パパスは,強さと優しさを兼ね備えた人物として息子=プレイヤーの目に焼き付けられる。
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青年となった主人公は教団から逃亡。奴隷の身分から逃れ,父の遺言に従って母マーサを探しながら,魔物使いとして世界を放浪する。その後結婚して子供を設けるも,妻を攫われ,敵に石像にされたまま8年の時間を過ごすことになってしまう。
しかし,成長した子供たちに石化を解除され,我が子とともに妻を取り戻すことに成功する。そして母を探す旅を続けた結果,最後に魔王を倒すのである。主人公の行動は母や妻を取り戻すことが目的であり,あくまで結果的に魔王を倒しているに過ぎない。
したがって,これは勇者の英雄譚ではない。父を喪った子供が一人の父となる物語である。主人公は物語の後半,重要なアイテムを手に入れるために,妖精の女王の力を借りて過去に赴く。過去の世界で幼い自分からそのアイテムをすり替えて手に入れ、そこで生きたパパスと対面するのである。
このときには,家族を持ち父となった主人公=プレイヤーは,父パパスが彼の妻であり主人公の母を取り戻すための過酷な旅をしていたことをよく理解している。主人公の職業はゲームの開始時点では「パパスの息子」だが,ゲームの終盤では「勇者の父親」へと変わる。「父の子」から「子の父へ」。パパスの行動の意味も分からずに世界に投げ出されていた子供=プレイヤーは,いまや自分自身が父となり自分の意思で戦うことを選びとるのである。
二次創作としてのプレイ
本作の主人公は,「天空の花嫁」以前の「ドラクエ」シリーズと比べてドラマチックな人生を送るが,作品世界内において彼は一言もしゃべらない。プレイヤーが操作する主人公がしゃべらないことは「ドラクエ」シリーズでは一般的なことである。作品世界への没入のポイントとなるプレイヤーのアバターだからしゃべらせないというのは理屈として分かる。
とはいえ,この過剰に波瀾万丈な家族の物語の中で,父や母を目の前で殺される怒りも,奴隷としての苦しみも,結婚や子供が生まれる喜びも,石像として無意に過ごす8年間の無念も,母を奪われた子供らとともに自分の妻を取り返す焦燥も,主人公は一言も言葉にしない。それはそれでちぐはぐな感じがする。
文学作品は明示的に書かれていない行間にこそ豊かさがあるのだとすると,ゲームである「天空の花嫁」の中のちぐはぐさは,読まれるべき行間以上の隙間だと言えるだろう。ゲームの物語はあくまでプレイさせるための推進力として必要とされるものなので,一言もしゃべらない主人公の感情のように十分に説明されない部分が存在する。
小学生の時の自分を含めた多くのプレイヤーは,言葉で明示的に表現されない主人公の感情を自分で想像して補っていたと思う。それは文学的テクストを対象とするときの解釈と呼ばれる行為とは少し違うかもしれない。解釈というよりは,今にして思えば,いわゆる二次創作に近いもっと能動的な関わり方をしていたように思う。
早川 公さんはこの連載の第5回で,「ドラクエ」シリーズを原作にして多くの漫画家が執筆するアンソロジー「ドラゴンクエスト4コママンガ劇場」が,彼のキャラクター理解を助けたことを述べている。同書は「ドラクエ」フランチャイズのメディアミックス戦略の一環でもあるのだが,同時に,「ドラクエ」の中にある隙間を埋める「二次創作」の競作でもある。
研究者のゲーム事情:第5回は早川公さんと「ドラクエIV」。リメイク版との再会を,オートエスノグラフィで語りなおす

普段は講義や論文に大忙しの研究者の皆さんに,お気に入りの作品を語ってもらう本連載。今回は文化人類学者の早川公さんが,特に思い出深いという「ドラクエIV」を紹介してくれました。リメイク版に出会い直すことで生まれた,新たな自文化の「分かりなおし」とは?
少なくとも私は,こうした他者の二次創作を通じて,自分の感じ方を練り上げるということをやっていたし,ほかの多くのプレイヤーたちも同じようなことをやっていただろう。それは一つの正解を目指す謎解きではなかった。「天空の花嫁」は,順風満帆とは程遠い人生を凝縮していながら,隙間だらけで歪な作品だ。
プレイヤーは「4コママンガ劇場」のさまざまな作品を前にして,美しい家族の物語を素直に受け止めたり,あるいはキャラクターのイメージを変形させて家族規範に反逆したりと,さまざまな解釈=生き様を見ながら,この「天空の花嫁」という隙間だらけのテクストの自分にとっての意味を少しずつ探していた。
つまり,ゲームを通して物語に関わることは,ある物語に対するほかのプレイヤーの別の関わり方を観察することを通して,他者を知るプロセスだったと言える。
花嫁を一方的に選ぶという設定へのジェンダー論的な観点からの批判を一旦括弧に入れて聞いて欲しいのだけれど,小学生の時の私からすると,結婚相手としてビアンカを選ばないことなどあり得なかった。幼いころに一緒に冒険をし,青年となって再会し主人公の冒険を手助けしてくれて,にもかかわらず山奥の村で老いた父親を助けながら清貧な暮らしをしているという事情を知ってしまったら,ビアンカを差し置いて出会ったばかりの「いいとこのお嬢様」であるフローラを選ぶことなどできるはずがなかった(私はそういうものにめっぽう弱い)。
だが,ゲームシステム上の功利的な判断としてフローラを選ぶ子はいたし,「年上であるビアンカのお姉ちゃん的な圧がいやだ」という物語内在的な理由でフローラを選ぶ子もいた。そのことを知った当時の私は,「そうか,そんなこともあるのか……」とただただ茫然としたものだった。今なら他人と私の欲望は異なるものだと分かっているけれど,当時の私はテクストとの関わり方の違いを通じて,ほんのちょっとだけ,私とは異なる他者に触れたのだった。
多くのプレイヤーにとっては花嫁選びが自分と違う欲望を持った他者を発見する契機だったのだろうけれども,父親のいない子供だった私にとって,「天空の花嫁」は父親とはどういうものかというイメージを練り上げるためのテクストでもあった。
大人になり,結婚し,子供を持つということは,当時小学生の私には想像のはるか彼方にある出来事だったので,物語の最初から最後まで同じように感情移入したわけではない。しかし,父親を喪った幼い主人公には,父親がいないという一点でどうしても感情移入してしまい,彼のその後の人生もどこか自分に惹きつけながら追体験していた。
その後,発売から30年が経ち,私自身が現実世界で結婚し子供を持ったことで,リメイク作品をプレイするたびに,自分の感情を投影してしまう物語の隙間も変わってきた。
会話をしない主人公
リメイク版の「天空の花嫁」を遊んでみると,主人公以外のキャラクターたちの感情表現が増えており,プレイヤーが主体的に解釈/二次創作をすることで感情を想像的に補う部分が相対的に減ってしまったようにも感じる。
リメイク版では,「はなす」コマンドを使うとパーティ内の人間キャラクターと会話できる。仲間のモンスターは会話できないので,この「はなす」コマンドをより楽しむには,家族を中心とした人間のキャラクターをパーティに積極的に入れる必要がある。
例えば,パパスの召使サンチョをパーティに入れておくと,しばしばパパスの思い出を彼の立場から感じた感情も含めて語ってくれる。なので,スーパーファミコン版ではサンチョをパーティに入れる理由は特になかったのだが,リメイク版では物語を深く楽しむために彼を連れまわしてしまった(私は青年期の「モンスターしか仲間がいない主人公」が結構好きなので,この変更は残念な部分もあるのだが……)。
「天空の花嫁」と題されることからも分かる通り,「はなす」コマンドの快楽は,花嫁たちとの会話で最大化する。ビアンカかフローラか,あるいはリメイクで追加されたデボラを選んだとしても,結婚前の不安,結婚式の興奮,(モンスターたちも伴っているが)二人だけの新婚の旅の喜び,出産の苦しさとそれを乗り越えた安堵といった強い感情を,花嫁たちは遠慮なく主人公に浴びせてくる。それでもなお,主人公はしゃべらない。美少女ゲームの男主人公でももう少しはしゃべるだろうというレベルで,主人公は全くしゃべらないのである。
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スーパーファミコン版では,そのような隙間があるからこそ,二次創作的な解釈を通した自分自身によるテクストの引き受けに開かれていたともいえる。この構造は基本的にリメイク版でも変わらないのだが,なんだか応答責任(リスポンシビリティー)を果たしていないようでもある。要するに,主人公への巨大な愛を向けてくるビアンカに対して,プレイヤー=私は何も応えていないようにも感じてしまったのだ。
イメージとの対話
この点に関連して,最近読んだとあるアラ子氏の漫画「ブスなんて言わないで」にとても興味深いシーンがあった。同作は,社会が女性に対して強いたり,女性自身が内面化したりしているルッキズムをテーマとする作品である。
第32話で,思春期に男らしい体つきになっていく自分の体との折り合いをつけることができなかった男性が描かれる。この男性はオタク的な趣味をもっており,夢の中で自分の理想が投影された目や胸が大きな美少女のイメージと対話する。「ブスなんて言わないで」は漫画のコードを意識的に利用した作風であり,このイメージとしての美少女は,一見この男性オタクの欲望が投影されただけの存在に見える。
「私の身体(なか)に入っていいんだよ/私に入って私のこと動かしていいよ[...]そしたら初めて…自分の身体を好きになれるんじゃない?」と男性を慰撫するこの美少女は,男性にとって都合のいいイメージの結晶――あえて言うなら無条件の愛を向けてくるビアンカのような――に見える。
だが,彼女はこの男性に対して自身の加害性に向き合う怖さや辛さに共感を寄せるだけでなく,それらを乗り越えられると励ます。それも随分と甘やかされていると言えるかもしれないが,一旦おいて聞いて欲しい。このイメージとしての美少女は「ここあなたの夢の中だよ/つまり私はあなたが作り出した存在なんだよ」と言って,自分自身が男性の幻想として作り出されていることを指摘する。そうした記号的イメージに欲望を投影して社会と擦り合わせながら生きているこの男性は,この美少女によれば,実はとても自分自身のことを「冷静」に考えていると言うのだ。
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この理路はとても興味深い。通常こうした美少女のイメージは男性の欲望が投影されたものとして,ありていに言えば,蔑まれることが多い。しかし,ここでとあるアラ子氏は,自分の欲望を投影したイメージを作り出していることを,そのイメージを通じた自分自身との対話の一歩目として捉えている。自分が作り出した美少女のイメージ――それは自分の欲望や快楽の結晶でもある――との対話を始めることで,自分の欲望や快楽の中から他者を知り始めるプロセスが起動するのだ。
おそらく,私や多くのファンたちも,「天空の花嫁」に対してそうした関わり方をしてきたと思う。「花嫁にビアンカとフローラのどちらを選ぶか」という論争は,男性が女性を選ぶというジェンダー的な不均衡があり,その点は批判的に考える必要がある。しかし,本作が真に問いかけているのはプレイヤーの欲望だ。ビアンカとフローラが天秤にかけられているように見えて,物語の隙間を解釈/二次創作し埋めていくプレイヤーのあり方こそが試されている。「あなたは何を欲望しどのように物語を作り出すのか?」と。
だからこそ,花嫁を選ぶ場でビアンカやフローラではなく,フローラの父であるルドマンに声をかけ「そ それはいかん!」と拒絶されるシーン――作品内ではネタとして周縁化されている――も,解釈/二次創作するプレイヤーは別の可能性として汲み取ることさえできるだろう。
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ビアンカとフローラのどちらを選ぶか。それは,ゲームシステム的には,使える呪文や手に入るアイテムの違いや子供達の髪の色の違いといった,些細な差しか生まない。どっちを選んだところで,ゲームとしても物語としても(フローラのイオナズンは便利だが)大して違いがない。
しかし,虚構の世界の中の架空のキャラクターに,数値的なデータではなくあくまでその背後に人間性を見出してしまうからこそ,この選択肢が重みを持つ。この物語世界を――そしてひいては虚構を通して現実を生きる自分自身をも――別の可能性へと大きく分岐させる選択肢の前で,私たちは自分たちの生が賭けられていることに慄いてしまうのだ。
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