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しげるのゲーミング子育て日誌:第9回は「子育てと愛想」問題。子連れで街を歩くときの緊張感は,ちょっとRPGに似ている
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今回のテーマは「子連れの親はいつも以上に愛想よくしないといけない問題」です。子供と一緒に移動するときに必要とされる気配りと警戒心は,RPGに似ているとかいないとか……?
子連れの親というのは,大変無防備な存在である。
まず移動速度が遅い。ベビーカーを押して歩いている場合はずっと荷車を押しているようなものだし,歩けるルートも限られる。特に上下の移動を伴うルートには壊滅的に弱く,エレベーターを探して駅やビルの中をうろつきまわることになる。2本の脚で立って歩くだけで終わる場合と,車輪付きの乗り物でないと移動できない場合でここまでルートに差が出るとは。遅まきながらバリアフリーというものがいかに重要か痛感し,階段のアンチになった。
子供が自分で歩くようになっても,移動速度の遅さは相変わらずである。なんせ子供の歩きは遅い。脚が短いんだから仕方ないが,一歩一歩の幅が短いので,普通にスムーズに歩いても大人よりずっと遅い。足が小さいから,ちょっとした段差ですぐつまずく。
特に歩行に慣れていない時期の段差に対する弱さは「スペランカー」並みで,あのゲームの探検家と同じく数ドットくらいの段差でも平気でコケてしまい,残機がゼロになれば大泣きする。「ああ,だから子供っていつも膝を擦りむいているのか……」と我が子がヨタヨタ歩く様子を見て納得した。
なおかつ,子供は歩いている最中に発生した興味に抗えない生き物である。側溝の蓋が線路に見えれば電車ごっこをしたがり,ゴミ収集車が走っていれば立ち止まってじっと見つめ,歩いている最中でも特に脈絡なくジャンケンをしたがる。急かしても急がないし,なんなら怒ったり泣いたりする可能性すらある。仕方がないので,ある程度はそのペースに付き合わねばならない。
移動速度の遅さに加えて,弱点丸出しで歩いているというのも,子連れの親の悩みどころだ。なんせ自分一人の面倒が見られればそれでいい,という状態ではない。絶対に大人のパワーには勝てない存在と一緒に歩いているわけで,何か害意を持った人間からすればどこを狙えばいいか丸わかり。ゲームでいえば,「Call of Duty」のマクミラン大尉を担いでチェルノブイリを走り回ったミッションくらいの不利さである。いや,マクミラン大尉は地面に置けば敵を撃ってくれたから,マクミラン大尉以下かな……。SASのオペレーターと3歳児を比べちゃいけませんね。
![]() マクミラン大尉…… |
当然ながら逃げ足だって遅い。たまに街中にいる「なんだかよく分からないけどめちゃくちゃ怒ってる人」が現れても,自分一人なら「キレてるなあ」と思って眺めていればいいのだが,子連れだと軽く身構えつつ,いざとなったら即逃げられる体勢をとらざるを得ない。
このような感じなので,子供と一緒にいる親は,外から眺める以上にいろいろなことに気を配って歩いている。たとえ歩道を歩いていても,前方から自転車が走ってくれば子供が飛び出して行かないように腕を引き,後ろのほうから車のエンジン音が聞こえてくればまた飛び出して行かないようにやっぱり腕を引く。人気のない道で人影らしきものが見えればうっすら緊張し,ちょっとした段差でも子供がつまづいてコケないか警戒し,グニャグニャとふざけて階段を上り下りしたがる子供にハラハラしながら「ちゃんと歩きなさい!」と注意する……。自分一人で歩いている時に比べると,レーダーの索敵範囲や索敵ルールがまったく違うのである。
そしてもうひとつ重要なのが,愛想の良さだ。愛想のない人もいないではないが,自分の体感では子連れの親のうち8割程度は愛想がいい気がしている。自分の場合でも,一人でぼんやり歩いているときに比べると格段にハキハキと挨拶し,何かにつけてお礼を言うようになった。特に好きでそうしているというわけではなく,愛想の良さがトラブルを避ける防御手段になるんじゃないかな……と思ってやっている。
先ほどから書いているように,子連れの親は大人だけのパーティに比べるとかなりデバフがかかった状態で外を歩いている。幸い自分は遭遇したことがないが,ベビーカーを蹴っ飛ばしてきたりこれみよがしに悪態をついてきたりするという,「マジのヤバい奴」に遭遇する可能性もなくはない。「いつモンスターが飛び出してくるかわからない」という,ほとんどRPGのような状態で歩いているのが子連れの親なのである。
モンスターとエンカウントしたらしたでどつき返す覚悟はあるものの,そんなことにならないほうがいいに決まっている。そうならないための予防措置,フィールドで魔物とカチ合わないための積極的防御手段として,通常よりも愛想の良いムーブを心がけているのである。
エレベーターを譲ってもらえればちゃんと聞こえるように「ありがとうございます!」と言い(これは当たり前ですね),たとえめちゃくちゃムスッとしているギャルっぽいお母さん(正直ちょっと怖い)であっても,同じ保育園に子供を通わせている親御さんとすれ違えばできるだけ大きな声で「おはようございます!」と言い,電車で子供がグズりだせば周囲に聞こえるように「ダメだよ〜」と諭す。
特に電車で子供がグズったケースに関しては,実際に子供のグズりが止まるかどうかはともかく,周囲に対して「私は子供が騒ぐのを止めようとしています!! これで何卒許してください!!」というアピールをする必要性もあってそうしている。いや,グズらなくなるに越したことはないんですけども。
この状況に対して,なんかこう,ちょっと理不尽なんじゃないかという気もしている。なぜ子連れだとこんなに愛想良くしなくてはならないのだろうか。
もちろん気を遣ってもらえたならちゃんとお礼は言わねばなるまいし,人としてコミュニケーションを取るうえで必要な愛想はあると思う。が,必要以上に周囲を警戒し,そして子供が騒いだときは必死で「おれは頑張ってるんですが,子供がねえ……」というアピールをせなばならないのは,なんかこう,理不尽じゃないですか。
子供は何がどうなっても泣くときは泣くし,騒ぐときは騒ぐし,親のいうことを聞かないときは聞かない。そういう生き物である。そして一度「泣き」にギアが入ってしまえば,なだめようが物で釣ろうがダメなときはダメなのだ。
![]() 側溝に夢中になって動かなくなった我が子 |
ついでに言えば,今大人としてシレッと電車に乗っている皆様にも,必ずそういう時期はあったはず。多かれ少なかれ他人に迷惑をかけずにデカくなった子供はいないんじゃないだろうか。「そういうもんなんだからしょ〜がね〜じゃん!!」と,何をやっても泣き喚く子供を放り出して電車の中で開き直ってみたい気持ちは,正直ある。
分かっている。分かっているんですよ。電車の中とか飲食店とか映画館のような逃げ場のない空間で,知らん子供がギャーギャー騒いだら,そりゃうざったいでしょう。自分も,逆の立場だったら舌打ちのひとつくらいしてしまうかもしれない。少子化が進んで子供とあまり触れ合ったことがない人が増えて,「子供がいかにいうことを聞かないか」を実体験として知らない人が多くなったという社会状況もある。
そのあたりは分かっているから,こちらも頑張って愛想良くしているわけである。でもさあ……なんかこう……理不尽じゃない……? 多少愛想がなくて,騒いでる子供をちょっとばかり放置してる親がいても……よくない……? ダメか。ダメな気もするな。
「子連れの親と愛想」について複雑な気持ちがある理由はもうひとつある。「子連れはトラブルに対して脆弱なので,なるべく愛想良くしてやり過ごすしかない」という点を突いて,なぜかいろいろな人が話しかけてくるのである。
子供を連れて歩くと,それはそれはさまざまな人が話しかけてくる。特に1歳になる前あたり,赤ん坊っぽい雰囲気が残りつつも外出に多少慣れてきた時期は,とにかく中年〜高齢者によくエンカウントした。
話しかけてくる人たちは,とにかく赤ん坊が死ぬほど好きである。「かわいいねえ〜〜」と言って近寄ってきては,決まって「何ヶ月〜?」「このくらいの時期が一番かわいいわ〜」と話しかけてくる。
彼らに悪気はないのはわかる。我が子をかわいいと言われて悪い気もしない。ただ,あまりに度重なると相手をするのが少々面倒くさくなってくるし,急いでいるときに話しかけられても正直困る。中には子供の手足や顔を触ってくる人もいて,「いやそれはちょっと……」と言いたくなることもある。
ただ,先ほどから書いているように,子連れの親というのは弱点だらけだ。その状態でエンカウントした人に逆ギレでもされたら,どうなってしまうか分からない。仕方がないから「ハハハ……ねえ〜」とか言いながらさりげなくベビーカーを動かし,相手が子供に触れない位置まで逃げたりする。む,難しい……こんなに赤ん坊に話しかけてくる人っているのか……と,最初の頃はかなり驚いたものだった。
さらに言えば,子育て中の人間は宗教勧誘のターゲットとしてもよく狙われる。特に母親は的にされやすい。毎日の育児と家事で疲労も溜まり,夫も仕事が忙しいので相談しづらく,ストレスと不安と悩み事は蓄積するばかり。育休中でこんな状態なら,仕事を再開したら一体どうなっちゃうの……という状態になりやすい子連れの母親は,確かにそういった勧誘の対象にもなりやすいのだろう。
妻も,宗教の人はとにかく話しかけてくると言っていた。曰く,最寄駅の駅前などを歩いていると「子育てのお悩みなどはないですか?」と,まったく知らないおばさんが話しかけてくるというのだ。こういう人たちは「子育ての悩みを話し合ったり,世間話したりするサークルをやってるんです」との触れ込みで話しかけてくるのが一般的だが,大抵「子育てサークル」のメンバーは全員特定宗教の信者の人たちで,ついていくと猛烈な勧誘を受けるのだという。
妻はそういう人たちは完全に無視して歩いているそうだが,ベビーカーを押して歩いていた頃は1日に何回もその手の勧誘を受けたそうだ。驚いたことに子供が3歳になり,立って歩いている状態になってもいまだにその手の勧誘の人は話しかけてくるそうで,「独身の頃に比べて外で話しかけてくる人間の種類がガラッと変わって,ライフステージが変化したことを突きつけられた」と話していた。なるほどねえ。
それに比べると,自分はまったく勧誘されたことがない。よく子連れでその辺をプラプラ歩いているのだが,宗教の勧誘なんかきれいさっぱりゼロである。おれだって子育ての悩みくらいあるし,子連れでプラプラ歩いているのは同じなんだから,一度くらい勧誘されてもおかしくないんじゃないか……と思っているのだが,完全に見た目で弾かれている感じがある。
そのかわり自分に話しかけてくる人といえば,保育園の行き帰りに遭遇する近所の小学生くらいだ。先日もトランスフォーマーのスタースクリームのTシャツを着て娘と歩いていたら,「それなんのロボット!?」「なにそれ!」と小学生男子に聞かれまくり,「スタースクリームだよ……」「超ロボット生命体だよ……」と全員に答えて回った。小学生,めっちゃ話しかけてくるな……と思っていたのだが,同じように子供を迎えに行っても妻はまったく話しかけられないらしい。そんなに小学生が話しかけたくなるルックスなのか,おれは……。
以上のように,子連れの親にとって街はRPGのフィールドと言っていい。地形による移動制限に苦しめられ,どこからモンスターが出現してくるか分からないデンジャーゾーンなのである。戦闘に勝っても経験値が手に入るわけでもないので,基本ルールはエスピオナージ系ゲームと同じく,「なるべく敵に見つからないように動き,見つかったら穏便に対処」が第一である。
エレベーターを譲ってもらったりお菓子をもらったりしたこともたくさんあるし,子供と一緒に外を歩くようになってから「世の中って案外親切な人が多いんだな」と思ったのも事実。自分は嫌な思いをしたことより人の優しさに触れた機会の方が多い。だが,それはそれとして気は抜けない。
おそらく,世間一般の子連れの親が願っていることはシンプルだ。「多少子供が騒いでも,できるだけ放っておいてほしい」「子供を抱えた状態で知らない人の相手をするのは案外大変なので,とにかく放っておいてほしい」これだけである。
もちろん,世間の大半の人は子連れだろうがなんだろうが放っておいてくれているし,ピンチだなというときには案外いろんな人が助けてくれる。それらには感謝しつつ,読者の皆様がうっすらとした善意でもって子連れの親を放っておいてくれることを切に願うばかりである。
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