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印刷2008/02/19 12:00

連載

EU3 その時歴史は動いた…り,動かなかったり
第1回:飛んでイスタンブ…♪(モスクワ大公国)

 

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地図右側に見える小麦色の領土がモスクワ大公国。濃い紫はリトアニア大公国。広大なロシア帝国も,昔はこんなに小さかったのだ

 Paradox Interactiveが新世代のゲームエンジンで構築した歴史ストラテジー「ヨーロッパ・ユニバーサリスIII」(以下,EU3)の連載記事を,今週から開始する。登場各国/各勢力が悲願とした国家的課題に敢然と挑戦し,1000年の栄華を目指したり,玉と砕けたりしていくので,しばしお付き合い願いたい。

 さて,EU3が前作である「ヨーロッパ・ユニバーサリスII」(以下,EU2)と違う部分といえば,まずは開始年次である。EU2がフス戦争の勃発を開始年次としたのに対し,EU3ではオスマン帝国による,コンスタンティノープル攻略完了(東ローマの滅亡)から始まる。これは,EU3が(地中海世界がイスラームの手に落ちたあとの)ヨーロッパのヘゲモニーを扱うゲームであることを,表明するものと見てよいだろう。だがそれを,はいそうですかと引き受けてプレイする義務など,プレイヤーにはこれっぽっちもない。

 東ローマ皇帝の地位とは,東方正教会の首長をも意味する。史実でこれを引き継いだのが,ご存じロシア皇帝だ。そのロシア語の綴りを英語風に置き換えると「Tzar」(ツァーリ)となり,これは神聖ローマ帝国の皇帝を示すドイツ語「Kaiser」と同じく,ラテン語「CAESAR」(カエサル)に由来する。そう,ロシア帝国こそ東ローマ帝国の正統な後継者なのだ。
 というわけで,のちにロシア帝国となるモスクワ大公国で,コンスタンティノープルの奪還を目指そう。麗しの都ビザンチウムを我が手に。15世紀ヨーロッパを動かすのはヘゲモニーへの渇望ではなく,いまさらながら宗教的情熱なのだ!

 

 

1453年,余はコンスタンティノープルを所望じゃ

 

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なかなか優秀な君主。だが,モスクワの名君はこれで打ち止めである。先が危ぶまれる

 さて,この方針でモスクワ大公国のプレイを開始するなら,理想は1472年開始だ。この年,モスクワ大公イワン3世が東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪であるソフィアと結婚し,モスクワ大公国は東ローマ帝国の後継者としての立場を固めている。
 そもそもゲーム開始時の1453年,モスクワ大公国はいまだ正式に独立しておらず,いわゆる「タタールのくびき」の下にあったわけで,そこでいきなり「わが国は東ローマ帝国を復興するのじゃ」と叫んでも,ちょっとアレな気もする。それはそうなのだが,目標そのものがアレなんだから,これくらい前後の見境がない始末でなくては,むしろ説得力もあるまい。
 というわけで,まさに東ローマが滅亡したそのときをもって,プレイ開始年代とする。タタールのくびきから脱し,強大なオスマン帝国を打倒する――考えただけでお先真っ暗な気もするが,Paradox Interactiveのゲームだけに,何ごともやってみなければ分からない。
 プレイに当たっては,原則的にキリスト教圏との戦争はしないこととする。だって我々が挑むのは一種の十字軍なんですから。 “異教徒”と戦うのが我々の使命であって,ヨーロッパの覇権なんて,そんな世俗的な欲望のことは知りませんよ。

 ……なんだかゲームデザインを真っ向から否定している気もするが,それでこそ,このプレイ指針である。歴史の荒波に,ガチで勝負を挑もうではないか。

 

 

進め一万,火の玉だ……一万?

 

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属国だったカシモフ・ハン国を外交的に併合する。属国化→外交併合の流れは,話が早くてよろしい

 さて,最初に問題になるのは「タタールのくびき」である。具体的にいうと,モスクワ大公国の東側に隣接するカザン。この国が非常にアグレッシヴで,とてもとても困る。同盟国3国を引き連れて,ゲーム開始早々に宣戦してくるのだ。
 モスクワ大公国としては,さまざまな対処を試みた。北方のノヴゴロドと同盟する。カザンに頭を下げて和平を乞う。カザンに頭を下げつつ南方に進出する。いずれの計画も,同盟国がすぐさま裏切ったり,和平期間が終わった翌日に再宣戦されたり,進出した先で反乱祭りに遭って反乱軍とカザン軍に挟撃されたりと,結果は思わしくない。

 結論からいうと,モスクワ大公国が置かれた状況は,「一国の総力を結集して軍事的にカザンを打倒する」こと以外では改善できない。往年の社会党ではないが,やるっきゃないのだ。
 そこで,まずモスクワの利点を探してみると……とりあえず兵役人口が多い。これはたいへん素晴らしいことだ。ゲーム開始時において,各国の技術レベルに差はほとんどない。つまり戦争の行方は,地形効果と将軍の質,そしてなにより「数」が決める。その数を支える兵役人口が多いというのは,実に素晴らしい。

 

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ゲーム開始直後に国民皆兵を施行。これで兵役資源は一気に増加。ロシア人海戦術の伝統は,ここに始まったらしい

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このフレーズをゲームの中で見るようになるとは。「兄貴」の一語が抜けているものの,真実の一端ではある

 

 というわけで,この利点をさらに拡大すべく,最初の国策として「国民皆兵」を採用する。さらにその政体スライダーを「量重視」に振り,人的資源の拡大を目指す。かくして架空戦記も真っ青のお手軽さで,モスクワは兵役人口1万を数える,国民皆兵の超軍事国家となった。

 

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宿敵カザンから領土を奪い取ったところ。西側の斜線部分が割譲地

 カザンおよびその同盟国から宣戦を受けたところで,戦争税を徴収。さらに借金も重ね,カザンの同盟国に「お布施」を持っていく。借金して張本人のカザンと講和しても,得るものは時間だけ。これでは借金のぶんだけ不利になるが,カザンの同盟国と個別に講和を結べば,勝負は純粋にモスクワ対カザンになる。
 金の……いや,神の力の偉大さをご覧(ろう)じろ,カザンの同盟者とはことごとく「痛み分け」(いやまあこっちが賠償金を払ったのだが,大本営発表としては痛み分けってことで)で講和が成立,モスクワとカザンの一騎打ちが始まった。
 こうなってしまえば勝負を決めるのはズバリ「覚悟の差」である。モスクワ大公国は最後の一兵までこの戦役につぎ込み,ついにカザンの領土を割譲させることに成功したのだ。

 

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最初の割譲から50年をかけてカザンを属国化。カザンには金鉱があるので財政的に大いに助かる

 割譲地はしばらくの間反乱が起こりやすいが,イスラームへの寛容度を最大に上げたので,反乱祭りというほどの反乱は起こらない。十字軍を標榜しながらイスラームを許容するというのも変な話だが,むしろ実利的な共存策こそ東ローマらしい態度だ。
 新規領土が落ち着いてきたあたりで,今度はこちらからカザンに戦争をふっかける。開戦理由のない「ならず者国家」的な宣戦布告であるため,安定度−2のペナルティを受けるが,それはあとでゆっくり回復させればよい。またしてもカザンの同盟国が参戦してきたものの,例によって袖の下を包んでお帰りいただき,カザンを徹底的に叩く。この戦役でカザンが支配していた金鉱を獲得,モスクワの財政はだいぶ改善された。
 こうなってしまえば「タタールのくびき」はないも同然。最後の仕上げに息も絶え絶えなカザンに再び宣戦,カザンがモスクワ大公国の属国となることで,戦争は決着した。

 

 

敵の敵は味方,このへんヨーロッパっぽい

 

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ゆっくりと時間をかけながら南進していく。東進ならもっと楽なのだが,聖地奪回が目標だけにやむを得ない

 タタールのくびきから脱したモスクワ大公国は,あらためて南方に目を向ける。南には大汗(チンギス・ハーン)の末裔達がいるが,彼らはもはや技術的に立ち遅れており,この時代における東方世界最強の歩兵システム「イエニチェリ歩兵」を擁するモスクワ大公国軍にとってみれば,敵とはいえない。なぜモスクワ大公国が,改宗キリスト教徒であるはずのイエニチェリを使っているのか……深くは問うまい。
 問題は二つ。時間と,ちょっとヤバげな敵である。時間の問題は,オリエント急行もびっくりなイスラーム圏縦断計画(終点がイスタンブール。もといコンスタンティノープル)などという無謀なことをやっている以上,どうしようもないことで,占領地の反乱発生確率がある程度下がるまでは先に進めないものと割り切って,地道な領土拡張を繰り返すしかない。モスクワ軍の力は技術水準もさることながら,何よりも数である。反乱軍鎮圧にその数を割いていたのでは,勝てる戦いも勝てなくなってしまう。

 もう一つ,ちょっとヤバげな敵とはペルシアである。このときペルシアはグルジア付近までを支配下においており,オスマン帝国に侵攻するにはペルシア領を通らねばならない。もちろん軍隊の通行許可だけをもらうという手もあるが,正直いってそんな許可が下りる可能性は非常に低いし,アナトリア半島に進出した後になって通行許可が剥奪されたら,モスクワ大公国の未来までもろともに剥奪されてしまう。
 結局,時間をかけてでもペルシアと戦う以外に手はない。だが,この段階でモスクワ大公国が利用できる兵役人口は3万ちょっと。これでペルシア軍を上回れるかどうかは,ギャンブルとしか言いようがないだろう。

 

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ペルシアから独立したグルジアと同盟。グルジア北部の金山をペルシアから奪い取る

 直球勝負が難しいなら,やるべきは外交である。まずは知恵と勇気を振り絞ってオスマン皇帝に幾許かの献金(実際には国家予算10年分くらい)をし,関係改善を図る。十字軍をするとはいったが,イスラームと対話しないとは言ってない。このあたりの二股膏薬的な立ち回りも,東ローマ譲りである。
 これで側面の安全が確保されたので,ペルシア/モスクワ国境に兵士を集めてじっと時を待つ。と,ついにオスマン軍がペルシア領に進撃を開始した。実のところこの戦争は50年くらい慢性的に続いているもので,どうやらこの回はペルシアがオスマン帝国に宣戦したらしい。シーア派の意地というところか。
 ともあれ,どちらがどちらに吹っかけたかなど,この際どうでもよい。モスクワはペルシア領の一部に対して「歴史的にモスクワ大公国領であった」証拠となる文書を確保しており(偽造したともいう),これに基づき,モスクワ大公国の正統なる権利を回復する戦いとして,ペルシアに正々堂々と宣戦布告したのである。
 オスマン+モスクワのにわかタッグとはいえ,ペルシア1国が勝てるはずもなく,ペルシア軍は随所で総崩れとなった。オスマン帝国が先にペルシアと講和したので,モスクワはグルジアの金山およびオスマン領に接するプロヴィンスを割譲させて,戦争を終える。地政学的なレベルでの準備は整った。

 

 

宗教戦争における原則論の一般的解決

 

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遅れがちな技術発達速度をカバーするため,兵器工場を大量に建設した結果。これはもう執念である

 さて準備はなされたとはいえ,このままではモスクワとオスマン帝国の戦争は果てしない泥仕合か,悪くするとオスマン優勢になるであろうことは疑いなかった。モスクワ大公国軍は対ペルシア戦に圧勝した,つまり犠牲をかなり低く抑えたにもかかわらず,戦役中の相当期間,兵役人口が枯渇していた。モスクワの「数」は,大国の存亡を賭けた殴り合いに対応できるほどのものではなかった。
 だがモスクワも,ただ戦争をし続けてきただけではない。行政システムを改善し,大陸軍の設立を宣言。これによって陸軍の扶養限界数は大いに上がった。また軍事システムの改善過程で兵器工場の建設に関する技術を確立,鉄の生産地に続々と兵器工場を建設していった。

 

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東欧文化圏は西欧文化圏と比べて発達速度が90%しかない。こういうイベントは非常に助かる

 またペルシアと,今度は単独で第二次戦役を開始。厳しい地形に苦戦を強いられたが,アストラハンの割譲に成功した。アストラハンにはCoT(交易場)があり,これでモスクワの国庫は大いに潤ったのである。
 とはいえ,これだけではまだ足りない。そこでモスクワは,クリミアに宣戦する。さすがに力の差は歴然で,クリミア全土を制圧したモスクワは,クリミアの領土を寸土たりと奪わず,そのまま属国化する。従来どおり時間をかけてクリミアの異教徒対策をしてもよかったのだが,ある程度の規模を持った属国であれば,彼ら自身の軍隊の規模が,比較的信頼に足るレベルに達する。モスクワの財政にこれ以上の負担をかけずに軍備拡張を行うには,属国化がベストだったのだ。

 

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ついにコサック騎兵の登場。「シヴィライゼーション4」でよくお世話になる兵科だが,EU3でも十分インパクトがある

 一方,問題は北方で発生していた。ノヴゴロドがドイツ騎士団の侵攻を受け,大幅に所領を減らしていた。このままでは失陥も間近である。ドイツ騎士団はモスクワ大公国と関係が悪く,かといってモスクワには,この関係まで改善しているヒマもカネもない。このまま彼らに,CoTのあるノヴゴロドをみすみす手渡すのはしゃく,じゃなかった,北方の安全保障上,あまりにも望ましくない。
 というわけで,ノヴゴロドの支配権に関する書類を宮殿の史書室で発見した(……偽造したともいう)モスクワは,ノヴゴロドに宣戦。これをすばやく属国化し,モスクワ大公国の完全な保護下に置いた。これで北方の安全は保たれた。
 ああ,なんかそういえばキリスト教圏との戦争はしないとか言ってましたっけ? ニェット。「原則的に」って書いてあるでしょう?

 このころ,資金のほぼすべてを陸軍技術の改良につぎ込んでいたモスクワは,東欧でほぼ最高水準の陸軍を有していた。質において,オスマン帝国を半歩リードしているくらいである。この半歩の差は,あと10年ほどで劇的な差に変わる――歩兵が鉄砲を常備するようになるのだ。

 いよいよ歴史が動こうとしていた。

 

 

プレスター・ジョンの国は思わぬところに

 

 オスマン帝国との戦争を始めるに当たっても,まずなすべきは根回しである。当時中欧最強の国であったオーストリアは,長年オスマン帝国と戦争状態にあった。だが,モスクワ大公国とオーストリアの関係も−180。パラメータの範囲は−200〜+200なので,ほぼ最悪といってよい。
 いまや潤沢な(というほどでもないが)資金を扱えるようになったモスクワは,ここでオーストリアへの接近を志す。オーストリアとの関係改善に必要な費用は非常に高く,道のりは厳しいものだったが,俗世における栄光が金で買うべきものであることは,ここまでのモスクワ大公国の歴史が証明してきた。

 

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モスクワ・オーストリア同盟。これでオスマン帝国を挟撃できるというのも不思議な地図だ。そういえば後の世界にはクリミア戦争なんてものもあったなあ。どうなることやら……

 

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書類を偽造してトラキアの正統な支配権がモスクワ大公国にあったことにする。トラキアに緑の斜線がかかっている

 やがてオーストリアとの関係を+200まで改善するのに割とすごいお金がかかったモスクワで,重大な発見がなされる。なんと,オスマン帝国の首都イスタンブールがあるトラキア・プロヴィンスの正統な支配権が,モスクワ大公国にあるという証拠文書が見つかったのだ(……そろそろ飽きてきたが,偽造ともいう)。
 知らせを受けて,オスマン/モスクワ国境にモスクワ軍が集結,息を潜めて機会をうかがう。そしてその機会は思いがけないくらい早く訪れた。オーストリアとオスマン帝国の間に戦端が開かれたのである。

 

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ついにオスマン帝国に宣戦布告。最後の戦いが幕を開けようとしている

 満を持して,モスクワはオスマン帝国に宣戦布告する。即座にオーストリアから同盟の打診が入ったので,これを受諾。オーストリア・モスクワ連合軍は,オスマン帝国を東西から挟撃していった。
 ……この段階で,もはや残る課題は戦後処理だけであったといえよう。いかにオスマン帝国強大なりといえども,技術的に優位にある2国に挟撃されては戦争にならない。オーストリア,モスクワとも,迅速にオスマン領を奪い取っていった。最終的には,オスマンと同じスンニ派を奉じるマムルーク朝までもがこの包囲網に参加,またバルカンやエーゲ海の小規模な国家群が,続々とこの大連合に庇護を求めるようになった。

 この小国家の連合入りが,オスマン帝国の棺桶に最後の釘を打ち込んだ。オスマンは帝国の矜持に懸けて生意気な小国を潰しにかかったが,連合傘下の国家に宣戦すれば,連合のボス3か国に正当な宣戦の口実を与えるばかりである。途中でオーストリアが連合から離脱したものの,オスマン帝国滅亡までの時計が逆戻りすることはなかった。

 

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同盟庇護下の小国にオスマン帝国が宣戦。停戦期間ではあるが,援軍を出すことには問題はない

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順調にオスマン帝国中心部に侵攻中。さすがに2大国を敵に回しては,オスマン帝国といえどひとたまりもない

 

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モスクワ・オーストリア・マムルーク朝同盟。とくに宗教面で何が何だか分からないが,戦争には勝った模様

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緑が自国と属国,青が同盟国。オスマン帝国にいじめられるならともかく,いじめる日が来ようとは

 

 1684年2月13日,モスクワ大公国はオスマン帝国の併合を宣言。ここに,名実ともにモスクワ大公国が正統なる東ローマの後継者であることが証明された。

 

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ついにコンスタンティノープルを包囲。オーストリアが同盟から離脱しているが,もう問題はない

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落日のオスマン帝国。こうなってしまえば,あとはこちらの出方一つである。東ローマは復権した

 

 

宗教的情熱の実現はヘゲモニーから

 

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オスマン帝国がついに終焉の時を迎える。長く苦しい十字軍は,ここでいったん幕を閉じることになる

 正直な感想をいえば,タタールのくびきから脱するのが一番大変だった。これはこれで,正しい歴史観であるような気がする。
 モスクワ大公国プレイの王道としては,史実どおりロシア建国に向けて領土の拡大を行うべきなのだと思うし,そうすれば,プレイはかなり楽になったのではないだろうか。なにしろ,リトアニアやポーランドは人的資源でも軍事技術でも財政的にも,オスマン帝国以下だし。第一モスクワはリトアニアに対し,プレイ開始時点から正統な領土請求権を持っている。
 だが,ロシアの大地が秘める人的資源を別の方面に活用した場合,その気になれば歴史に一大変革をもたらすことも可能というのが,今回のプレイの結果である。

 

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広大なモスクワ大公国および,その属国/同盟国領。国教は当然ギリシア正教だが,どう見てもイスラーム国家である。いいのか?

 

 しかし,沿海州を目指さないロシアと,すでに存在しないオスマン帝国。ウィーン包囲に怯えることもなく,順調に構成民族を増やしたであろうオーストリアが,このまま第一次世界大戦くらいの時期を迎えたら,どこがどこにケンカをふっかけたりするのか,まるで想像がつかない。

 まあこの世界のモスクワが,ここから先も既定の方針を貫きたいなら,ゆくゆくはエルサレムとメッカとメディナを支配するしかないだろう。国民の9割くらいはイスラーム教徒と思われるし。ていうかそれ,東ローマとか回りくどいこと考えなくても,単純にオスマン朝の後継者ってことじゃん……。ここから先,オーストリアと戦う気力は正直ないが,やって勝てない相手でもなかろうし。

 でもまあ,オーストリアおよび,オスマン朝によく似たモスクワ大公国が,EU3のプレイ年代が終わるころに来る歴史の大きな波“国民国家”の洗礼を受けたとき,どちらも無事では済まない気がする。史実において,1806年にナポレオンが解体した神聖ローマ帝国の後継者であるオーストリア帝国と,今回東ローマ帝国の後継者となったモスクワ大公国(≒オスマン帝国)の,どちらが長生きできるかという議論は,とりあえずこのゲームらしい論題の立て方であるといえよう。

 

■■徳岡正肇(アトリエサード)■■
久方ぶりで週刊連載の戦列に復帰する,PCゲームライター。ストラテジーゲーム,とくにParadox Interactiveの作品に造詣が深いことは,ご存じの方も多いだろう。それはさておき,今回のプレイにおける勝因は,ズバリ徳岡氏の「ひげ」だと思われる。アラブとスラブの将来を決めるこの戦いで,ひげの差は戦力の決定的な差である。そうに違いない。
  • 関連タイトル:

    ヨーロッパ・ユニバーサリスIIIナポレオンの野望【完全日本語版】

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    ヨーロッパ・ユニバーサリスIII【完全日本語版】

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