連載
ソ連とアメリカ,日本を跨いだ迫真のドキュメント「テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム」(ゲーマーのためのブックガイド:第29回)
「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,テーマや執筆担当者によって異なるさまざまなスタイルでお届けする予定だ。
落ち物パズルの代名詞「テトリス」。落下してくる7種のブロック(テトリミノ)を回転させながら組み合わせ,一列が隙間なく揃えられたら,その列が消える。一定の高さまで埋まってしまったらゲームオーバーと,老若男女誰にでも分かるシンプルなルールながら,高い中毒性を持つ。何より「テトリス」がなければ,「ぷよぷよ」や「Dr.マリオ」といった,後の落ち物パズルのヒット作は生まれなかったに違いない。
さまざまなハードウェアに移植され,ときにプログラミングの教材にもされる「テトリス」だが,このゲームが面白いのは,当時としては珍しい旧ソ連発のゲームでもあることだ。ファミコン版やゲームボーイ版では,クレムリン宮殿がタイトルバックを飾り,「トロイカ」や「カリンカ」といったロシア民謡がBGMで流れることもあって,リアルタイムで触れた人は「東側からやって来た未知のゲーム」と,新鮮な想いを抱いたものだった。
今回紹介する「テトリス・エフェクト 世界を惑わせたゲーム」は,テトリスの生みの親であるアレクセイ・パジトノフ氏と,それを日本に持ち込んだヘンク・ロジャース氏という二人のキーパーソンの視点から,「テトリス」をめぐる背景を紹介した迫真のドキュメントだ。
「テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム」
著者:ダン・アッカーマン
訳:小林啓倫
版元:白揚社
発行:2017年10月
定価:2300円(+税)
ISBN:9784826901987
Honya Club.com
e-hon
Amazon.co.jp
※Amazonアソシエイト
白揚社「テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム」紹介ページ
1960年代,米ソのコンピュータ技術に,そう大きな違いはなかった。けれども,パジトノフ氏がロシア科学アカデミーに加わったときに触れることを許された学者向けコンピュータは,壁ほどの大きさがあるメインフレームのBESM-6で,しかもほかの研究者に並んでパンチカード(古の記録媒体)を送り込まねばならなかった。
数年後の1980年代前半,ようやく個人用のデスクトップPC・エレクトロニカ60を使用できるようになった。ただ,それもアメリカ製コンピュータの模造品,かつアメリカならば中学校のコンピュータ・ルームに設置されていたものより劣った水準の代物で,画面に表示できるのは,キーボード上に並んだ文字や数字だけであった。西側のゲームはほとんど入ってきておらず,一部の専門家が密かに「パックマン」を遊んでいたくらいだったという。
パジトノフ氏は幼少期,ペントミノに夢中になっていた。これは木やプラスチック,紙製のブロックを組み合わせるアナログのパズルのことだ。彼はこのブロックを,アスキーアートのように記号を組み合わせてコンピューター上に表現し,かつ揃った列から消していくことで,画面の表示スペースとメモリの容量を節約することを思いついた。
当初,このゲームは「遺伝子工学」と呼ばれていたが,後に「テトリス」と正式に名付けられることになる。このネーミングは,コンピュータがブロックを送り込む様子を,ペントミノを使ったテニスに見立てたことに由来する。このときの「テトリス」は1人用だったが,のちに対戦が盛り上がる萌芽は,この時点からあったのかもしれない。
「テトリス」は研究者間で評判になった。これを次世代に,洋の東西を問わないグローバル・スタンダードとなったIBM-PCやその互換機向けに移植したのが,一回り年下のワジム・ゲラシモフ氏だった。
ただ「テトリス」のソースコードを再コンパイルするだけでは,PC DOS上で動かすことができなかったので,ゲラシモフ氏はイチからコードを書き直すことにした。こうした過程で,テトリスのブロックは色分けされるようになり,またハイスコア機能が搭載されて競技性が生まれた。けれども,できあがった作品を商業的に流通させることなど,ソ連国内では夢のまた夢だったのだ。
一方で,本書のもう一人の主人公であるヘンク・ロジャース氏は,「テトリス」をファミコンやゲームボーイといった任天堂のハードウェアに対応させるにあたり,わざわざ自分でローカライズを行い,モスクワへ渡航してまで許諾を実現するなど,世界的な普及に貢献した立役者として登場する。
ロジャース氏はオランダ・アムステルダムの生まれだったが,11歳でニューヨークに渡り,高校時代にコンピュータと出会って,その可能性に魅了された。さらにハワイ大学でコンピュータ関連の講座を履修していたとき,世界初のテーブルトークRPGである「ダンジョンズ&ドラゴンズ」に出会い,これにたちまち夢中になる。
ロジャース氏は1976年,大学を中退して恋人のいる日本へと移住。翌年に結婚してからは継父の仕事である宝石商のビジネスを手伝ったものの,日本の閉鎖的な商慣習に苦心させられ,この時期はろくにコンピュータに触れられなかったそうだ。
しかし30歳を目前に一念発起して,コンピュータを使った起業を決意。1983年の秋葉原で,当時1万ドルほどしたPC-8801を購入し,まだ日本では一般的ではなかったファンタジーRPGを自分で作り上げた。こうして売り出されたのが,宝石の名前からタイトルを取った「ザ・ブラックオニキス」だ。
発売当初はまるで評判にならなかったが,ロジャース氏はめげることなく,ゲーム雑誌の編集部を行脚した。先行作である「ウィザードリィ」が,数値の割り振りでプレイヤーが自由にキャラクターを作成できたのに対し,「ザ・ブラックオニキス」は数値を固定化し,分かりやさが重視されている。一方で,外見のビジュアルがアレンジでき,没入感を高める工夫が凝らされている。こうした点を,ロジャース氏は編集者たちにプレゼンして回ったのである。
結果として,「ザ・ブラックオニキス」は各誌で特集が組まれ,初期の国産ファンタジーRPGの代表作として知られるようになったのである。
このようにロジャース氏は,とにかくアイデアと決断,行動の人として描かれている。「ザ・ブラックオニキス」の次の一手として,彼は任天堂の山内 博社長(当時)との直談判に出る。ファミコンに進出しようというのだ。
ロジャースは山内氏が囲碁の愛好家だったことを聞き出し,囲碁のゲームを提案して,山内氏の信頼を勝ち取る。完成した囲碁ゲームは山内氏のお眼鏡にはかなわなかったようだが,それでも「テトリス」の権利をめぐる交渉を任されたのは,ロジャース氏にそれだけの魅力があったのだろう。
散りばめられた小ネタも面白い。保守的な思想の持ち主として知られる「エンダーのゲーム」のSF作家オーソン・スコット・カード氏が,テトリスが面白すぎるがゆえに「アメリカ中のコンピュータを乗っ取ろうとする共産主義者の陰謀」とみなした逸話など,思わず笑ってしまうものもある。
本書に興味を惹かれた人には,旧共産圏のエストニアに生まれた架空のプログラマーを題材に,MSXからブロックチェーン経済までをも扱い,直木賞候補にもなった宮内悠介氏のSF小説「ラウリ・クースクを探して」(朝日新聞出版)もオススメしたい。
■■岡和田 晃(翻訳家,文芸評論家)■■
SF・幻想文学やクラシックなスタイルのゲームにちなんだ翻訳紹介を得意とするライター・翻訳家。現在,日本SF大賞の最終候補となっている,荒巻義雄氏と巽 孝之氏の編著による「SF評論入門」(小鳥遊書房)にも寄稿している。ほか最近の仕事に「『猫の女神の冒険』モンスター!モンスター!TRPGソロアドベンチャー」(FT書房)の翻訳,「ダイスメン」(ニューゲームズオーダー)の翻訳協力などがある。
白揚社「テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム」紹介ページ
- 関連タイトル:
TETRIS THE GRANDMASTER4 - ABSOLUTE EYE -
- この記事のURL: