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サイバーパンクの古典「ニューロマンサー」が再評価される今,その足跡を辿り直す(ゲーマーのためのブックガイド:第46回)
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「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,テーマや執筆担当者によって異なるさまざまなスタイルでお届けする予定だ。
十代の頃から物書きとして暮らしているが,実のところ,筆者はそれほど活字中毒というわけではない。むしろ拒絶反応があるくらいで,最初の1ページを開く抵抗感は,バンジージャンプに挑む恐怖にも似ている。視覚と脳のあいだに,一種の障壁があるように感じるのだ。筆者にとって,読書は「能動的な体験」であり,例えるなら登山である。一歩一歩,1ページ1ページ,自分に負荷をかけて登っていく。どうして自ら望んで,そんな辛いことをしなくてはならないのだろうか。
それは,かけがえのない本には,そこでしか経験しえない光景があるからだ。
その得がたき景色を目にする喜びが,山登りのしんどさを上回ったとき,物語の世界に没入できる。自分自身の体感となる。自身ではない誰かになって,ここではないどこかに降り立ち,今ではない時間を生きられる。
これまでも,そんな再読に値する本ばかり紹介してきたつもりだが,では2025年8月に新装版が発売された,ウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」はどうだろうか。そうだとも言えるし,そうでないとも言える。どういう意味かって? まあ,追々説明していこう。
「ニューロマンサー〔新版〕」
著者:ウィリアム・ギブスン
訳者:黒丸 尚
版元:早川書房
発行:2025年8月25日
定価:2050円(税別)
ISBN:9784150124892
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早川書房「ニューロマンサー〔新版〕」紹介ページ
この作品は1984年,あらゆる障壁を食い破るウィルスのごとく,世に放たれた。日本への侵入は1986年。黒丸 尚という鬼才の訳文を通じてのことだった。
「絶対,おまえに向いてる」
当時そう言われて,恐る恐る手に取った。最初の数ページで圧倒されてめまいと吐き気がし,耐えきれずソッ閉じした。何というイメージの氾濫! 理解できない情報が多すぎて頭脳が拒絶し,したたか電脳酔いをした。
こんな困惑は「指輪物語」以来だ。知らない小人・ホビット族の解説が延々続いてめげたのだ。あのときは,どう克服したんだっけ。そうそう,前日譚の「ホビットの冒険」を読んだら耐性がついて,平気になったんだ。
そんなわけで,前日譚が載っている短編集「クローム襲撃」(1986/邦訳1987)を楽しく読んで世界観を把握し,それから「ニューロマンサー」を再び開くと……ガンガン映像が脳内に侵入してくる。説明なしの乾いた描写が,淡々と畳みかけて来る。考えるな,感じろ。それを地で行っていた。ページをめくる手が止まらない。余人には真似できない,原文の言語空間の色あいをニュアンスごと変換する,黒丸の翻訳センスが光る。
しかし何だろう,このどこかで味わったことのある懐かしい感覚は。最後の一行で気がついた。
これは,各方面に影響を与えまくっている,レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」(1954/邦訳1956)へのオマージュじゃないか。
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「ニューロマンサー」の作中で描かれるハイテク背徳都市チバ・シティや,アメリカ東海岸の混合都市群《スプロール》のイメージは,フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」(1968/邦訳1969)を元にした映画「ブレードランナー」(1982)を見ればいい。
ギブスンは「ニューロマンサー」の第一部「千葉市憂愁/チバ・シティ・ブルース」を書き上げてから映画館に行き,途中で吐き気がして,それ以上観ていられなくなって席を立ったという。さもありなん。どちらがどちらを真似したわけでもないのに,「ブレードランナー」のロス・アンゼルスは,チバ・シティそっくりなのだ。
ちなみに小説のタイトルとして“ブルース”という言葉を初めて使用したのは,やはりチャンドラーの「ベイ・シティ・ブルース」(1938/邦訳1964)だと思われる。アメリカ南部の黒人霊歌にルーツがある哀愁に満ちたブルースは,1920年代には都市部へと浸透し,やがてシティ・ブルースと呼ばれるサブジャンルを生み出していた。
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「ニューロマンサー」の冒頭,「港の空の色は,空きチャンネルに合わせたTVの色だった」と表されるチバ・シティの情景が,またここに重なる。まさしくノイズが走ったような,灰色の港町の風景だ。
サイバーパンクとは,電子装置や電脳環境と人間の,接続/融合/不具合の物語だ。それと同時に,欧米にとっては,知らぬ間にジャパネスクやオリエンタリズムに逆侵略された悪夢のディストピアでもある。
第二次世界大戦で,核兵器をもってしてまでコテンパンにやっつけたはずなのに,気づくと文化的にヤられている。アニメにゲーム,ウォークマン。近未来的な装飾や演出をしてはいるが,つまりはサイバーパンクとは,彼らにとっての現在そのものだったのだ。
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チバ・シティの棺桶(カプセル・ホテル)でその日暮らしをする,脛に傷もつガイジンたちは,バー《茶壷》――略してチャット(もしくはそのフランス語訳である系列店《ジャール・ド・テ》)でたむろしている。
そもそも「ニューロマンサー」というタイトルだって,イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の高橋幸宏のソロ・アルバム「NEUROMANTIC(邦題:ロマン神経症)」(1981)にインスパイアされたものである。
そんな「ニューロマンサー」から直接生まれた映画が,1999年から始まる「マトリックス」シリーズであり,テーブルトークRPGの「サイバーパンク」シリーズである。後者はのちにデジタルゲームの「サイバーパンク2077」(Switch 2 / PC / PS5 / Xbox Series X|S / PS4 / Xbox One / Mac)となり,アニメ化もされて「サイバーパンク:エッジランナーズ」(2022)が生まれた。同作の反社会的なヒーローの一人であるジョニー・シルヴァーハンドには,「マトリックス」のネオと同じくキアヌ・リーヴスが起用されている。
さらにはギブスンの短編「記憶屋ジョニイ」(1981/邦訳1986)の映画化「JM」(1995)でも,ジョニーを演じたのはキアヌである。なおキアヌ(Kianu)とは元々ハワイの言葉で「涼風」を意味し,彼の東洋的なエスニック・オリジンを表している。
おやおや。どうやら我々は,サングラスをかけた松田優作とキアヌ・リーヴスの交差点に,立ち尽くしているようである。
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ところがギブスン自身は,チャンドラーについて「あまりに道徳的すぎて好みではないため,ほとんど読んでおらず真似てもいない」と吐露している。ただし「似ているところがあるのなら,それは文化的浸透によるものだ」と,間接的な影響は認めないでもない立場である。潜在意識的な侵略という意味で,これも正しくサイバーパンク的だ。
とはいえハードボイルドそのものを否定しているわけではなく,チャンドラーの師匠筋にあたるダシール・ハメットのことは,尊敬しているとのこと。
ハメットの代表作「赤い収獲」(1927/邦訳1953)は,ピンカートン探偵社の名もなき調査員の主人公が,腐敗しきった街を徹底的に大掃除していくハードボイルド小説だ。この主人公は自分語りをすることもなく行動し,街に壊滅的な打撃をもたらしながら,犯罪者どもを撲滅していく。そしてその被害に対して,「やるべきことをした」と反省らしきことをすることもない。
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すなわち一種の品位なきノワール(悪漢)小説であり,二人を中心とした作戦チームが行動するなかで,身近な者たちが虫が潰されるように次々と殺されていっても,それについて思い悩むことはない。むしろ,その考えないようにするのが二人の能力でもあり,とくにケイスの拒絶の力はすさまじいものがある。そして結果的に,それによって世界が革新されることになる(ケイスは半ば無自覚だが)。
これは確かに「腐敗した街を行く時代錯誤な騎士」たるチャンドラーの探偵像からはかけ離れており,血なまぐさい初期のハメットに近いものがある。であればこそ,聖人などになれるわけもない我々読者に近しい視点が生まれ,スリリングかつ痛みと憂愁を伴う唯一無二の感動をもたらすのである。
改めて「ニューロマンサー」の旧版と今回の新版を比べてみよう。
まずは判面が縦に5mmほど高くなった一方で,各ページの文字数は減ったので,総ページ数が464Pから576Pに増加している。文字の級数も大きくなったので,とても読みやすくなった。
解説は同じく山岸 真氏だが,この40年のパースペクティヴを踏まえ,論じ直されている。
何よりも素晴らしいのは,巻末に同氏による用語集が新たに追加されたことだ。本文を読んでいて不明な単語にぶちあたったら,ここを見れば分かることが多いので,かつての筆者のように電脳世界で迷子になることはない。全単語が網羅されているわけではないものの,それでもめまいや吐き気は著しく減少することだろう(今ならネットで検索するのも容易だし)。
川名 潤氏による新装丁も素晴らしい。主人公ケイスと思しき頭の内部や周辺に,電脳空間のマトリックス・グリッドや,チバ・シティを思わせるストリート(実際は大阪だそうだが)が侵入してくるイメージが表紙にあしらわれ,まさしく作中の状態を視覚的に見せてくれる。ちなみに,実は一番人間的であるべき口元だけが,AIによって描かれたものだとか。
そして裏表紙である。物語後半の舞台となる,軌道上の宇宙ステーション《自由界/フリーサイド》が,描写どおりの紡錘(スピンドル)形で示されている。
こんなに分かりやすくなった版で(今なら理解しやすい)時代を先取りした小説を読めるなんて,皆さんは実にツイている。
これで終わりではない。これは《スプロール》三部作の始まりに過ぎず,10月に「カウント・ゼロ」,12月に「モナリザ・オーヴァドライヴ」と続き,2026年1月には短編集「クローム襲撃」が,新版「ニューロマンサー」と同等のクオリティで出し直されるという。刮目してお待ちいただきたい。
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早川書房「ニューロマンサー〔新版〕」紹介ページ
■■健部伸明(翻訳家,ライター)■■
青森県出身の編集者,翻訳家,ライター,作家。日本アイスランド学会,弘前ペンクラブ会員,特定非営利活動法人harappa理事。著書に「メイルドメイデン」「氷の下の記憶」,編著に「幻想世界の住人たち」「幻獣大全」,監修に「ファンタジー&異世界用語事典」「ビジュアル図鑑 ドラゴン」「図解 西洋魔術大全」「幻想悪魔第大図鑑」「異種最強王図鑑 天界頂上決戦編」など。ボードゲームの翻訳監修に「アンドールの伝説」「テラフォーミング・マーズ」「グルームヘイヴン」などがある。
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