インタビュー
[インタビュー]没後10年・飯野賢治氏が最後に残した大作ゲーム「Dの食卓2」の開発エピソードを野末武志氏ら元WARPメンバーが語る
今回は,飯野氏にとって最後の大作となった「Dの食卓2」について,かつて彼と共にWARPで開発に携わったクリエイター達が語り合った座談会の模様をお届けする。なお,本日より「飯野賢治生誕55周年企画」の一環として「Dの食卓2」のレコードの予約受け付けがスタートしたので,興味のある方はそちらもチェックしてほしい。
この座談会には,現在スクウェア・エニックスで映像表現の最前線を担う野末武志氏(「KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV」ほか)も参加。当時を知る彼らが語る開発エピソードや裏話をたっぷりとお届けしよう。
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[インタビュー]“ゲーム界の風雲児”飯野賢治生誕55周年レコード発売記念,伝説のバンド「NORWAY」メンバーに,飯野氏との想い出を聞く
42歳の若さで世を去った飯野賢治氏の生誕55周年を記念したアルバム「KENJI ENO 55」が,5月5日にデジタル配信される。このアルバムには,飯野氏の晩年に活動していたバンド「NORWAY(ノルウェイ)」の楽曲も収録されている。そこで今回,NORWAYのメンバーに飯野氏の思い出を語ってもらった。
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[インタビュー]発売から29年。鬼才・飯野賢治が作った「エネミー・ゼロ」の壮絶な制作現場や裏話を上田文人ら元WARPメンバーが語る
1996年に発売された「エネミー・ゼロ」は,“敵が見えない”“音だけを頼りに敵を倒す”という斬新なシステムや,プラットフォーム変更などでゲーム史に強烈なインパクトを残した。故・飯野賢治氏が率いるWARPに在籍していた,上田文人氏ら当時のスタッフに,制作の裏側や思い出を語ってもらった。
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幻のハード・M2からDreamcastへ
WARPが総力を上げて制作した「D2」秘話
――今回は「Dの食卓2」(以下,「D2」)を担当したメンバーで座談会を行いたいと思います。この4人の中では,WARP創業メンバーでもある林田さん,次いで菅村さん,野末さん,窪川さんの順で「D2」に関わられていますね。まずは開発の始まりについてお聞かせください。
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もうだいぶ忘れてるんですが……(笑)。なんで始まったんだっけ? スタートはけっこう早かったと思うけど。
菅村弘彦氏(以下,菅村氏):
自分が入社したのは「Dの食卓」のPlayStation版が出る直前くらいだったけど,そのときはもう(開発が)始まっていたと思う。むしろ「エネミー・ゼロ」よりだいぶ前だった。
林田氏:
ルーマニアへ取材旅行に行って,ドラキュラ城も見てきたんだよね。だから最初は,「Dの食卓」の続きものっていうイメージだった。「Dの食卓」の主人公のローラの息子がさらわれる設定で,動画も作ったんだよね。
――「D2」は1999年12月にDreamcastで発売されましたが,最初は松下電器(現パナソニック)のM2(同社の3DOの後継機)向けに開発されていましたね。
林田氏:
そうです。ところがM2は思った以上に性能が高くなくて,相当厳しいなと思ったんですよ。それでM2の開発の人達との飲み会で「(M2は)遅い!」って言ったら,先方がすごくキレて(笑)。
その1年後に「新しいライブラリを開発した」と言われたものの,確かに速くはなったけどバカみたいにメモリを食うわけです。ダメ出ししつつどうにか切り抜けましたが,そういう苦労があったにもかかわらず,結局M2は開発も発売も中止になってしまったんですよね。
菅村氏:
当時は「エネミー・ゼロ」を担当していない数人が「D2」に関わってたんだよね。
野末武志氏(以下,野末氏):
だと思います。WARPは僕が入社した1997年頃から人数が増えていったんですよ。10人いかないくらいだったのが,20人くらいになって。
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僕が入社したのはそのかなり後で,WARPという会社の人数的にはそこがピークでしたね。
「D2」のクレジットには途中で退社したメンバーも載っていたんですが,開発者はまず飯野さん,それからディレクターが1名,CGアニメーターが11名とデザイナーが8名。プログラマーが8名にシナリオが1名,プランナーが2名という感じで,全部で30人くらいでした。
実際の開発中,メインで動いていたのは20名くらいだったと思います。
――「Dの食卓」から「エネミー・ゼロ」,そして「D2」で作品のスケールも大きくなっていくにつれ,メンバーも徐々に増えていきましたね。環境もかなり変わったと思いますが,「D2」のハードがM2からDreamcastに変更になったとき,また1から作り直したということですか。
林田氏:
そもそも当初作ってた「D2」と内容が全然違うのと,M2版は途中まででしたが松下電器に納品していたんですよ。だから,契約上それを使うことができなかったんです。
――なるほど。M2版の開発中止が1997年7月ということですから,Dreamcast版の発売(1999年12月)を考えるとこれまた短い開発期間だったということでしょうか。
林田氏:
開発途中で行った制作発表会(1998年5月)の頃は,最初に出てくるスチュワーデスの中ボスくらいまでしか出来てなかったんじゃないかと思います。
ゲームとしてはその先もけっこう長かったから,開発の最後の半年から1年って,なんかずっと会社にいた気がします。正味,1年くらいで作ったようなイメージでした。
野末氏:
実際のゲームと制作発表会用に出したのはまた別物でしたしね。
窪川氏:
エンディングムービーがタイムズスクエアで2000年を迎えるカウントダウンのシーンだったので,ゲームはなんとしても1999年のうちに発売する必要があったんですよ(笑)。あのラストがすごく重要だったので。
――かなり大変な制作現場だったと思いますが,印象的だったことを教えてください。
野末氏:
プログラマーとしては林田さんがメインでしたっけ?
林田氏:
僕はスノーモービルとか狩りも含めて,主に野外だった。「D2」の発売が延期になって,何も出せないのも……ということで,スノーモービルだけ遊べるバージョンを作った気がする。タイムアタックとかできるようなやつ。
野末氏:
林田さんはすごくこだわって作られていたと思いますが,狩りでめっちゃたくさんうさぎを出してたのを覚えてます。忙しすぎてついに壊れてしまったのかなと思うくらいに(笑)。
菅村氏:
そういえば今思い出したけど,完成に近い状態でデバッグしてたとき,スノーモービルで家のギリギリ横に停めると降りられないっていうやつがあった(笑)。
窪川氏:
ありましたね!
林田氏:
本当はスノーモービル用の,既存の地形のだけじゃない当たり判定を作っておけば良かったんだけどね……。でも本当に余裕が無かったし,作ってくれる人もいないから誰にも言えなかった。
野末氏:
周りのみんなもイライラしてましたしね……。というかみんなの勤務時間がバラバラで,僕らもプログラマーさんとは付箋で会話してたんですよ。
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そうだそうだ! あるとき僕がほかのメンバーにメモを残してたんだけど,家に帰ったら飯野さんから電話があって,いきなり「あのさあ,やる気ないなら辞める?」とか言われたから「えっ!? いやいやいや!」って(笑)。どうやらメモがエアコンの風で飛んじゃったらしく,行き違いがあったみたいで……。
野末氏:
昔は社員同士でのメールやメッセンジャーのやりとりも出来なかったですしね。あと,今の開発ツールなら足を3D空間上に固定する方法があるんですが,昔は無かったからモニターに足の形を直接描いて,一コマ一コマ設置するようにやってたんですよ。地道に。
菅村氏:
そうそう,ホワイトボード用のマジックでね(笑)。
野末氏:
また一コマ動かすと5分くらいマシンが動かなくなりますしね……。
窪川氏:
僕が最初にやったのはカットシーン(ゲーム内ムービー)でした。「D2」はリアルタイムカットシーンが4時間くらいあるゲームで,全部手付けのアニメーションだったんです。
当時はそんなゲームなんて無かったんですよ。4時間分の音声があって,アニメーターはそれを聞きながら作業してました。山のように作業があったので,納得できなくても先に進まなければいけないという状況で。
野末氏:
僕,1回もタイムスライダーを戻さずにアニメーション作業を終わらせたことがあります。怖いでしょう(笑)。
菅村氏:
マジで!?
窪川氏:
でもそれくらいやらないと終わらなかったんですよね……。
――先ほども話に出ましたが,国際フォーラムで行った制作発表会も当時としてはかなり異例のイベントでしたね。
<「D2」制作発表会「ワールドプレミアムショウ」>
1998年5月23日に東京・国際フォーラムにて行われた「D2」の制作発表会は,「ワールドプレミアムショウ」と名付けられ,一般客を招いて行われた。関係者を除く観客は招待制ではなく,誰でも参加可能なイベントと発表されており,当日はなんと1万人近くのファンが集まった。
そのため急きょ2回イベントを行い,来場者に配布されたVHSのビデオテープ(「D2」のムービーを収録)の不足分は後日配送することに。
ゲストには西城秀樹氏が“ローラ”つながりで「傷だらけのローラ」を歌ったり,飯野賢治氏がピアノ演奏したりと,単なるゲーム紹介に留まらない内容でも話題になった。
また,本イベントではNTTとタッグを組み,インターネットを使った全世界生配信も行われた。これも当時としては異例のことで,常に時代の先を行っていた飯野氏らしい試みと言える。
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実は,これに関してとっておきのエピソードがあります。
ただでさえ開発で忙しい時期だったのですが,発表会の前日の夜,飯野さんが突然「ローラの顔を動かそうよ」って言い出したんですよ(笑)。しかもDreamcastで,ですよ!? シェイプアニメーションといって,頂点を動かすものなんですが,それをやったことのある例が世の中にまだないわけです。
そこから僕を含めた数人でどうにかデモを作ったんですが,そのときの記憶がすっぽり抜け落ちてて……。もう人生で感じたことのない一体感だけがあって,「ハッ!」と気付いたら発表会の会場にいて,その映像を見たお客さん達が「おお〜」って言ってるっていう(笑)。
それ以降,どんなにたいへんなことがあっても,そのときのことを思い出すと乗り越えられるようになりました。
菅村氏:
そうなんや……。
野末氏:
いや菅村さんとか須藤さん(アニメーターの須藤秀希氏。前回「エネミー・ゼロ」の座談会に出席)とかは,僕達の先輩だから比較的優遇されてるわけですよ!(笑)
作業が遅れても誰にも文句言われないし。
菅村氏:
それ窪っち(窪川氏)からよく言われてたわ(笑)。
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“会社というよりバンド”なWARPの取材旅行
オーロラを求めて世界各地へ
――凄まじいエピソードですね……。少し話が変わりますが,「D2」では取材旅行も多かったそうですね。M2版のときのルーマニアを始め,その後はアラスカやフィンランドにカナダなど,オーロラを見に行くことを目的に社員旅行をしたそうで。そのときの思い出があれば教えてください。
林田氏:
ルーマニアのときはまだ社員数も少なくて5〜6人で行ったんですが,飯野さんがあの格好(黒スーツ)だから,社員全員が日本の暴力団だと思われました(笑)。
野末氏:
僕が入社して社員が増えた段階で,みんなでカナダのイエローナイフに行きましたね。気温がマイナス35度とかなので,外に出るときは全員ホテルから借りた防寒服を着てました。犬ぞりにも乗ったんですが,危ないから顔もしっかり覆うように言われてたのにやらなかった同僚がいて,鼻が凍傷になったのを覚えてます。笑っちゃいけないんだけど(笑)。
菅村氏:
スノーモービルも乗った記憶がある。あと,林田さんがバナナで釘を打てるかを試してた。濡れたタオルを振り回して凍らせたりとかも……。
林田氏:
オーロラはアラスカとかフィンランドではあまり見えなくて,イエローナイフでようやくちゃんと見られたんだよね。
野末氏:
イエローナイフのときは,行きの飛行機からすでに見えたんですよ。だから現地に着いても,ちょっとだけありがたみが減ってしまったっていう(笑)。
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菅村氏:
窪っちは旅行に行ってないんだっけ?
窪川氏:
僕が入った頃はもう社員旅行どころではなかったんですよ……。でも皆さんからよく話を聞くので,それまでの旅行がどんな感じだったかは詳しいです(笑)。先輩方から聞いたのが,普通は海外旅行ってスーツケースとかで行くのに,とあるメンバーが紙袋ひとつで空港に現れたっていうエピソードです。
菅村氏:
そうそう,とてもこれから極寒の地に行くとは思えない普通の格好でね(笑)。
――非常にWARPらしいエピソードですよね。ちなみに,オーロラ鑑賞旅行はかなり行かれていたと思いますが,作品には……。
窪川氏:
確かディスク4枚目に湖のシーンがあって,そこの空がルックアップできるようになっていたんですよ。ゲームクリア後の2周目でUFOが出るように林田さんが仕込んでいたんですが,そこにオーロラがあったような……(笑)。
林田氏:
そうだったかな……(笑)。でも「D2」に出てくる小屋とか人工物は,どっちかというとアラスカっぽい雰囲気が出ていたような気もします。
――今振り返ってみて,あらためて「『D2』はここがすごかった」と思うのはどんな点ですか。
野末氏:
そもそも雪っていうのが大変だったんですよ。足跡がつくし,積もりはしないけど雪の処理とかも大変ですし……。
菅村氏:
さっきも話に出た,制作発表会で公開したオープニングムービーは,最初の雪のシーンはリアルタイムじゃなくてレンダリングで,1枚30分くらいかかっていたと思います。
野末氏:
あ,でも今「そのくらいならかわいいな」って思っちゃった(笑)。
菅村氏:
確かに。「Dの食卓」の頃なんてもっと時間がかかってて,一晩経たないとレンダリングが始まらないみたいな感じだったからね。
――先日の座談会では,「Dの食卓」がほぼ全編インタラクティブムービーで,「エネミー・ゼロ」はムービーとリアルタイムが半々,「Dの食卓2」がほぼリアルタイムの“WARP三部作”だったという話が出ていました。
菅村氏:
当時としては最先端のことをやっていたけど,「エネミー・ゼロ」でエネミーが見えないのは,描画できないからっていうのも理由の一つにあるんだろうなあと思ってましたね。
窪川氏:
「D2」のすごかった点を言うと,やっぱり音の面も良かったんじゃないですかね。使われている音楽はもちろん,声優陣も錚々たるメンバーで。そのあたりは飯野さんもすごくこだわったところだと思います。
野末氏:
飯野さんが作ったピアノのテーマ曲も良かったですよね。
菅村氏:
うん,そういう才能も本当にすごかった。
――「エネミー・ゼロ」も開発途中はシナリオが上がっていなかったという話がありましたが,「D2」もそうでしたか? 「D2」制作時は,飯野さんがかなり長いことホテルに缶詰になってシナリオを制作していたエピソードがあったと思いますが。
窪川氏:
僕が作業する頃には出来ていましたが,後からの差し替えはけっこうありましたね。アニメーターにとって重要なのは音声なので,ディレクターから音声をもらって「このシーンを作ってください」と指示があるんです。僕が作ったあとはモーフチームに渡して,そのデータを佐藤さん(プログラマーの佐藤直哉氏。前回の座談会に出席)が,エンジニアなのにライティングしてたっていう(笑)。でもそのライティングがめちゃくちゃ良かったりして,そういう流れで制作してましたね。
あと「D2」のどこがすごいかっていう話をもう一つすると,あれだけのリアルタイムカットシーンをちゃんと実現させてゲームに仕上げた作品は,当時はほかになかったっていうところです。そういうゲームの走りと言ってもいいですよね。
野末氏:
実は,当時のWARPはかなり最先端のことをやってたんですよ。今のうちの会社(スクウェア・エニックス)の年表と照らし合わせても,あの時代で背景もキャラクターもリアルタイムで描画して動かすなんてやってなかったと思うんです。本当にめちゃくちゃすごいことをやってたなと思いますね。WARPは少人数でしたけどみんな技術力がすごくて,それは自分にとってもかなり刺激になりました。
それとスキルはもちろん,全員がタレント性というか個性もすごくて面白いし,どんなに無茶なことでも,誰も「できない」って言わないんです。WARPは本当にすごいメンバーがそろっていたと思います。
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今だから話せる飯野氏のエピソードと,
「D2」を通して伝えたかったメッセージとは
――飯野さんに対する想いや,今だから言えるエピソードなどがあればぜひ聞いてみたいです。
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何のときだったか忘れたけど,僕と飯野さんともう1人のメンバーでカラオケに行ったんですよ。そのとき飯野さんから普通に歌うのを禁止されて,気持ちで数字(楽曲の番号)を入れろと言われて(笑)。それで朝まで知らない曲をアドリブで歌わされたんだけど,意外と出来るんや! っていう気付きがあったかな……。
野末氏:
罰ゲームもそうだけど,飯野さんってどんなことでも常にゲームにしようとしますよね。
さっきも話してたような社員旅行でも,必ず誰か1人くらいは騙されるんですよ。飯野さんがメンバーと組んでて,ターゲットになった人は「飯野さんが出張に行くんだけど忘れ物したみたいだから成田まで届けに行って。あと中に入るかもしれないから一応パスポートも持っていってね」とか言われるんです。それで空港に行ってみたら社員が全員いて,そのまま海外旅行に連れて行かれるみたいな(笑)。
菅村氏:
取材以外でもE3とか行ってたしね,みんなで海外に行くことは多かった。
野末氏:
当時,ほぼ毎月のように行ってましたよ。飯野さんが「脚本ができないからみんなで行ってきて」っていう,時間稼ぎのパターンもありました(笑)。
林田氏:
飯野さんが缶詰になってたとき,開発メンバーが夜中にホテルへ呼び出されたこともあったよね。そこでシナリオを読まされたりして。でも,スカもあったんだよ。全員に封筒が渡されて,中に「ごみーン」(※ごめんなさいの意)って書かれた紙が入ってる(笑)。まあ,シナリオを作るのも大変だっただろうからね……。
あと飯野さんってさ,どのあたりからゲームを作るのに飽きてたと思う?
野末氏:
えっ,悪口ですか?(笑)
林田氏:
いやいや,そういうわけじゃなくて。でも,ちょっと気持ちが離れてたような気はするんだよね。「リアルサウンド」(1997年7月発売「リアルサウンド〜風のリグレット〜」。一切映像がない,音だけでプレイするゲーム)あたりかなあ。「D2」も,途中まではすごくやる気があったと思うんだけど……。
野末氏:
真面目に言うと,ゲームの細かい仕様にこだわるより,もっと“体験”全体を気にするようになっていったのかなとは思いますね。社員が増えたし,そういう細かいところは人に任せようと思うようになったんじゃないですか。いま飯野さんのことを思い出そうとすると,よくウクレレを持って裸足で社内を徘徊してる姿が浮かびます。
菅村氏:
分かる(笑)。
林田氏:
で,僕の席の横にあるソファーベッドで寝るんだよね。そうすると僕が寝られなくなるっていう。
――これは前回の座談会で出た話なのですが,WARPの社員は林田さんや菅村さんを含めた初期メンバーが“第1世代”で,その後に第2,第3……と,時期によってなんとなく世代感があるよねと。最初は片手で数えられるくらいの人数から始まり,一番多かったときで40人以上の社員がいたと思いますが。
林田氏:
それで言うと,個人的にはやっぱり「エネミー・ゼロ」のときが一番バンドっぽく盛り上がっていたような気はしますね。
菅村氏:
窪っち達が入ったときに感じたのは,窪川世代は“ちょっと怖い先輩”をうまくコントロールできるんだなってこと。僕らの世代は,ちょっと気が弱いメンバーだとそういう先輩に飲まれちゃうこともあったりしたんだけどね。
窪川氏:
ああ。でも,雰囲気が変わったんだろうなっていうのは分かります。すごく濃かったWARPの空気や文化みたいなものが,僕達が入ったことによって薄れた部分があったんじゃないかなと。
野末氏:
だから,飯野さん的に言うと僕の世代までがバンドだったんですよ。でもいつまでもバンドのままではいられなくて,その後に会社らしくはなったけど,結局バンドは解散したみたいな(笑)。
――あらためて,「D2」で飯野さんが伝えたかったのはどんなことだと感じますか。エンディングもかなりインパクトがありましたよね。
窪川氏:
さっき「タイムズスクエアで2000年を迎えるカウントダウン」のムービーがあると言いましたが,そのあとに実写映像が流れるんですよね。環境問題や病気,戦争などの映像を通して,地球と人類の歴史を綴っていくものです。これは,当時もかなり賛否両論だったと思います。
――その実写部分は,社内で制作に関わったメンバーはいたんですか。
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実写に関してはほかの会社に依頼していたようです。ゲームの最後の最後に流れるんですが,ほとんどのアニメーターが知らなかったので「なんだろうこれは」みたいな感じでした。
個人的には,飯野さんは2000年を迎えるにあたって人類の節目のようなものを感じていて,社会問題をあらためて見直したかったのかなと思いました。やっぱり飯野さんってアーティストなんだなと感じましたね。
林田氏:
僕は一応(実写映像の存在を)知ってはいたんですが,「飯野さんらしいよね」って感じですね。カウントダウンもそうだし,あのメッセージがあったからこそ,どうしても1999年の年末に出すことにこだわったんだろうなと思います。
――もし今「D2」をリメイクするとしたら,どんな作品にしてみたいですか。
林田氏:
今ならNPCはみんなAIエージェントになるんじゃないかなあ。あとはVRとか? いや,でもまあ,あんまりやりたくはないかもしれない(笑)。
窪川氏:
「D2」で僕が昔作ったカットシーンは,今だと見られたものじゃないと思うので,AIを通して美しいCGにしてほしいです(笑)。
林田氏:
ただテーマとしてはね……「D2」ってやっぱり,当時の世紀末だったり,あの空気感だからこそのゲームだったと思うんですよ。もしいま作るとしたら,何をテーマにして,どんな目的のゲームになるんだろう。飛行機で遭難して脱出して,何をプレイヤーに伝えたいのかなと。
野末氏:
ただまあ,「D2」ってウィルスの話に近いような気もしますね。でも正直に言ってしまうと,僕は「D2」は1回作ったので,どちらかというと「エネミー・ゼロ」をやりたいです。“見えない敵”を使った遊ばせ方が,今ならもっと面白く出来るんじゃないかなって。
菅村氏:
自分もやるとしたら「エネミー・ゼロ」だなあ。野末くんや窪っち達には負担をかけて申し訳なかったんだけど,「D2」はただただ自分の仕事をやったみたいな感じだった。
でも「エネミー・ゼロ」はムービーとゲームが完全に別だったから,自分にとっては横で勝手にゲームが出来ていく感じだったんだよね。当時,初めて実際に遊んでみたときにすごく面白いなって思ったんだよ。「こんなに何も見えないんだ!」ってびっくりしたし。
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あと「エネミー・ゼロ」では,飯野さんが「デジタルの悲しみ」っていうテーマを打ち出してましたよね。「もし今リメイクするなら」ということで,そこを再解釈したらどうかって考えました。
今回,あらためて思ったのが「デジタルの悲しみ」って,現実世界で満たされている人しか言えないキーワードなんじゃないかということです。飯野さんって,そういう言葉が出てくるくらいリアルな世界で愛されてたんだなと。このテーマを深堀りしたら,また面白いものができるんじゃないかって気がしてます。
林田氏:
さすが,きれいに締めくくってくれるなあ(笑)。
野末氏:
でも何か,またみんなで集まって何かやってみたいような気はしますね。飯野さんやWARPってアイデアの宝庫だったし。
菅村氏:
そうだよねえ。
窪川氏:
WARPはスーパーワープからfytoになりましたけど,飯野さんが亡くなった後,元メンバー何人かで「ワープ2」で会社登記しませんでしたっけ。あれってまだあるんですか?
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ある。
窪川氏:
じゃあいつか「D3」を作ってもらわないとですね!(笑)
もし何か動くなら何でも協力しますよ。
林田氏:
まあ……じゃあ,機会があれば(笑)。
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