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Access Accepted第758回:「Digital Dragons 2023」に見たポーランドのゲーム業界
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2023年5月15日と16日(現地時間),ポーランド南部の都市クラクフにあるCentrum Kongresowe ICE Krakówにて,今年で11回目となるゲームイベント「Digital Dragons 2023」が開催された。筆者も招待を受ける形で参加してきたので,その様子をまとめておきたい。
B2Bに特化した「Digital Dragons」とは
「Digital Dragons」はポーランドにオフィスを構えるゲーム企業がスポンサーとなり,同国を拠点とするゲーム開発者が中心になって集まるという,B2B(Business-to-Business)型のイベントである。その中核となるのが,ゲームデザインやプロダクション,アート,モバイル,ビジネスなど,さまざまなカテゴリに分かれたカンファレンスだ。会期中には100以上の実践的なセッションが行われた。
イベント中に開催された,ポーランド産のゲームにフォーカスしたアワード「Digital Dragons Awards」については,先週の記事(※リンク)ですでに紹介したが,そのほかにインディーゲームのショーケースや各メーカーのブースなども展開されていた。
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該当の記事と多少重複する話だが,クラクフを県都とするマウォポルスカ県がIT産業の育成を目的にした政策を行い,クラクフ市と複数の大学が株主になる形で運営企業Krakowski Park Technologiczny(クラクフ・テクノロジーパーク/KPT)が設立されたのは1997年のことだった。以来,クラクフは“ポーランドのシリコンバレー”と形容されるほどIT産業が発展しているが,そこでKPTが主催を務め,スポンサーを募って開催しているのがDigital Dragonsというわけだ。
今年のDigital Dragons 2023には過去最高となる2300人が出席する見込みだったが,最終的にはそれを超える2700人という規模にまで膨れ上がった。会場であるCentrum Kongresowe ICE Krakówの収容規模はそこまで大きくないため,入口やホールなどでは人との接触を避けられないほどに混雑した場所が多く,お目当てのセッションが満員で入れないこともしばしば。ヨーロッパのイベントによく見られる「箱もの運営会社主催型」であるために,別の都市の大きな施設に移動する可能性は低い。順調なら来年以降は,隣接するホテルなども活用していくことになるのかもしれない。
いずれにせよ,B2B型イベントとしては中規模ながらも,大きな成功を収めている印象だ。
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ちなみにイベントのネーミングである「Dragons」とは,この地に1000年ほど前から伝わる伝説がベースになっている。ヴァヴェルの丘の洞窟に住む龍が人間を食べてしまうため,近辺に定住ができないこの地に,スラブ系部族の王子だった兄弟が赴き,ウシの皮でできた人形に硫黄を詰め込んだものを供物と偽り食わせて退治したというものだ。この丘にはユネスコ世界文化遺産に登録されている,ポーランド王国の旧都だったヴァヴェル城がそびえ,南側を流れるヴィスワ川沿いの公園には1970年代に建立された“ヴァヴェルの竜”の銅像が存在する。この竜が町のシンボルとなり,ゲームイベントの名称にもなっているのだ。
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Digital Dragons 2023はB2Bイベントであるため,学生やアマチュアのほか,現在求職中であってもゲーム開発者や業界関係者ならば,入場料を払えば参加できる。会場案内のボランティアも,ゲーム会社の広報やビジネスサイドの若い層が多い印象だ。そうした観点からは,Game Developers Conferenceやdevcomよりも“濃いB2Bイベント”であり,48か国700社という多様なバックグラウンドを持つ業界関係者が参加しているとはいえ,「同じ地域の同業者が年に一度集まるイベント」といった地元感が強い。
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ポーランドのゲーム業界は今から30年ほど前,ソビエト連邦の体制崩壊から間もなく,ヴロツワフにTechland(1991年),ワルシャワにCD Projekt(1994年)が起業した頃にスタートしたと言える。ポーランドで知的財産権の保護法ができたのは1992年だが,1980年代末から1990年代にかけて,AtariやCommodore,PCゲームは高級品だった。
Techlandは海外のゲーム市場を意識したサイバーパンク風カーアクションゲーム「Crime Cities」(2000年)をはじめ,2003年にFPS「Chrome」,翌2004年にレーシングシム「Xpand Rally」をリリースして,その評価を高めていった。
一方,CD Projektがゲーム開発に乗り出したのは2002年,開発&リサーチ部門であるCD Projekt REDを発足させてからだ。BioWareのAurora Engineを採用し,5年がかりで「The Witcher」(2007年)を開発したことで高い技術力に注目が集まった。同国の業界関係者が口を揃えて「すべてはThe Witcherから始まった」と言うとおり,その評価がポーランドゲーム業界の礎になったことは疑いようがない。
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海外ゲームにアンテナを張っている読者であれば,2000年代以降に登場したポーランドのゲーム会社の名は何度も目にしているはずだ。
「Lord of the Fallen」のCI Games(2002年設立),「カオ・ザ・カンガルー」のTate Multimedia(2002年設立),そして「Outriders」のPeople Can Fly(2002年設立)をはじめ,「Charnoblyte」のThe Farm 51(2005年設立),「RoboCop: Rogue City」のTeyon(2006年設立),「Layers of Fear」のBloober Team(2008年設立)などはベテランの部類に入る開発会社と言っていい。
また,「Shadow Warrior 3」のFlying Wild Hog(2009年設立),「This War of Mine」「Frostpunk」の11 bit studios(2010年設立),「Gamedec」のAnshar Studios(2012年設立),「The Vanishing of Ethan Carter」のThe Astronauts(2012年設立)も海外で広く認知されている。
さらに「Warsaw」のPixelated Milk(2014年設立),「Hatred」のDestructive Creations(2014年設立),「Green Hell」のCreepy Jar(2016年設立),そして「Succubus」のMadmind Studio(2016年設立)など,台頭するポーランドのゲーム会社を挙げるとキリがない。
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The Witcher以前と以後の15年,そしてこれから
ポーランド産ゲームを大まかに定義すると,11 bit studiosの「意味のあるゲーム」(Games with Meaning)というモットーに代表されるように,ゲームプレイやストーリーテリングにおいて,歴史や人間社会の未来について深く考えさせられる作風が多いと言える。万人受けだけに縛られることなく,時にはプレイヤーとして難しい判断を迫られ,プレイ後には苦味のある余韻と記憶が残るような,大人向けのエンターテイメントが魅力だ。
技術面に目を向けると,TechlandのC-EngineやCD Projekt REDのRED Engineに代表される独自のゲーム開発にこだわるメーカーがある一方,Bloober TeamとAnshar Studiosによる「Layers of Fear」のようにUnreal Engine 5を使いこなすメーカーもある。フォトグラメトリーを早くから採り入れて,果敢にビジュアル面を追求するメーカーもポーランドには多い。
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ポーランドと言えば,賃金の安さが大きな武器になっていた時期もあるが,現在の平均月収は7560ズウォティ(約25万円/2020年のデータ)。隣接する経済大国ドイツと比べれば半分にも満たないとはいえ,物価の安さを考慮すると国外に出稼ぎを考える開発者はそれほど多くないようだ。そうした環境だからか,ライバル同士でもより良い労働条件やプロジェクトを求めて,比較的自由に移籍する姿が浮かび上がってくる。
ほかの地域であれば「開発者を引き抜くのは止めてくれ」といった人材の奪い合いが起きるところだが,現役開発者が集まるDigital Dragons 2023ではライバル会社のリクルートブースが仲良く並び,旧友たちが久々の交流を深めているという,どこか不思議な状況になっていた。
しかし,筆者が話したベテラン開発者によると「若い人たちが自分の居場所を見つけられることこそが大事」であり,こうした大らかで寛容な雰囲気が現在の勢いにつながっているように感じた。The Witcher以前の15年で礎を築き,以後の15年で大きく飛躍したポーランドのゲーム開発シーンは,これからどこに向かうのか。今後も注目していく必要がありそうだ。
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著者紹介:奥谷海人
4Gamer海外特派員。サンフランシスコ在住のゲームジャーナリストで,本連載「奥谷海人のAccess Accepted」は,2004年の開始以来,4Gamerで最も長く続く連載記事。欧米ゲーム業界に知り合いも多く,またゲームイベントの取材などを通じて,欧米ゲーム業界の“今”をウォッチし続けている。
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