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[インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! PSOを“「はじめまして」から はじまるRPG”と宣伝した男,大内孝悦氏(58歳)
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印刷2024/08/06 08:00

企画記事

[インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! PSOを“「はじめまして」から はじまるRPG”と宣伝した男,大内孝悦氏(58歳)

セガ ジャパンアジアパブリッシング事業本部 マーケティング本部 副本部長の大内孝悦氏
画像集 No.001のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! PSOを“「はじめまして」から はじまるRPG”と宣伝した男,大内孝悦氏(58歳)


 ゲーム業界では秀作を生んだクリエイターが名を上げ,いつしか会社の顔となり,界隈の代弁者として,業界の印象を形成してきた。

 しかし,彼らの総数は業界従事者の1%ほどだろう。その裏には開発のみならず,広報や経理,社内エンジニアにカスタマーサポートなど,名を上げずとも人生を生きる99%側の“名もなき戦士たち”がいる。

 言い換えればそれは我々であり,世界の大多数だ。

 ゲーム業界自体,未成熟ゆえの輝きがあった昭和・平成時代とは違い,今では就業規則に福利厚生にコンプライアンスにと成熟した。大手を中心とする一部メーカーでは徐々に“定年退職者”も増加している。

 そこで本稿では,業界の顔役が語る逸話ではなく,99%側として生き,定年を間近にまで控えた者たちの半生に迫っていく。だからこそ見えてくる,ゲーム業界を生き抜いてきた人たちのロールモデル


玩具業界からゲーム業界へ


4Gamer:
 このたびは「ゲーム業界に定年退職者はちゃんといるのか?」と思い,定年間近まで働いてきた人に取材を打診させていただいておりました。

大内孝悦氏(以下,大内氏):
 ここに来るまで,昔の懐かしいデータを眺めていました(笑)。

4Gamer:
 山積みの歴史を振り返っていただき,ありがとうございます。
 本日はどうぞ,よろしくお願いいたします。

大内氏:
 はい,よろしくお願いします。

画像集 No.010のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! PSOを“「はじめまして」から はじまるRPG”と宣伝した男,大内孝悦氏(58歳)

4Gamer:
 はじめに,お名前と簡単な経歴をお教えいただけますか。

大内氏:
 大内孝悦です。今は58歳で,セガ ジャパンアジアパブリッシング事業本部 マーケティング本部の副本部長と,海外子会社のセガ パブリッシングコリアの社長を務めています。
 僕は1999年まで玩具メーカーのタカラ(現:タカラトミー)にいて,宣伝担当としては女玩(女の子向けおもちゃ)に携わり,東京おもちゃショーの出展の仕切りなども担っていました。
 それから同年11月,セガ・エンタープライゼス(現セガ)に入社し,以降は宣伝畑で働いてきて,現在はマーケティングを担当しています。

4Gamer:
 パッと思いつく,思い入れのあるお仕事はなんでしょう。

大内氏:
 パッと思いつくものだと,セガに来て最初の仕事になったドリームキャストのタイトル「レディ・トゥ・ランブル・ボクシング 〜打ち込め笑いのメガトンパンチ〜」が印象深いです。
 そこから先は,当時のAAAタイトルに多く携わりまして,「ジェットセットラジオ」に「スペースチャンネル5」に「ファンタシースターオンライン」にと,どれも思い入れの深いものばかりです。


■大内氏の担当タイトル(一部)
「ファンタシースターオンライン」シリーズ
「J.LEAGUE プロサッカークラブをつくろう!」シリーズ
「NFL 2K」シリーズ
「甲虫王者ムシキング」シリーズ
「ぷよぷよ」シリーズ
「ジェットセットラジオ」
「スペースチャンネル5」
「シーマン2」
「クロヒョウ 龍が如く新章」
「戦場のヴァルキュリア」
「バイナリードメイン」
「Rez」など

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4Gamer:
 往年のビッグタイトルぞろいですねー。
 あらためてですが,大内さんは新卒入社がタカラだったのですか。

大内氏:
 違いますよ。それまでは広告代理店に勤めたり,夜の仕事の企画を担当したりと,まったく異なる分野の仕事をしていました。

4Gamer:
 となると,ゲーム業界を志望していたわけでもなかった?

大内氏:
 若いころは,けっこうぬるくやっていました。

4Gamer:
 ぬるく。

大内氏:
 そうですね。もともと新しいことに挑戦するのが苦ではなく,なにをやっても楽しめるタイプでした。若いころはなにをやっても楽しいですし,ムチャも効きます。転職もスムーズにできました。
 ただ,セガの宣伝部に来た当初は「ここは大変だ」と思いましたよ。

4Gamer:
 というと?

大内氏:
 当時のゲーム会社は独特でしたね。
 例えば「10時になっても会社に誰もこない」「11時になっても誰もこない」,昼すぎにポツポツとやってきたと思ったら,みんなてっぺん(深夜24時)まで働くんです。今では考えられないような,まさにエンターテインメント業界らしい環境でした。
 僕は当初,宣伝チームの一員として,社外取締役の秋元 康さんが関わっていたエイティーワン・エンタテインメントという会社に出向していましたが,あそこもすごかったです。いたるところで会議が始まるのですが,エレベーターホールで会議していたときのあの絵面は,今の世じゃ誰にも説明できないそうにない光景でしたし(笑)。

4Gamer:
(本当に書けない光景に爆笑)

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大内氏:
 でも当時の宣伝部は,そういうおもしろい人たちが,おもしろいことを仕掛ける場所でした。今では「老害」とか言われそうですけど(笑)。
 ドリームキャスト時代も同様に,さまざまなことを仕掛ける人たちがいて,僕も「こいつらおもしれえこと考えるなあ」と刺激を受けながら,90年代のゲーム業界らしい意気込みで働いていました。宣伝部には個性的な人が多かったので,よく彼らを注意したりしていました。
 三桁時間の残業も今どきは完全にアウトですけど,当時は普通でしたしね。よく会社に寝泊まりしていたことを今でも思い出せます。

4Gamer:
 この企画だと,誰からも確実に聞ける鉄板話です(笑)。

大内氏:
 でしょうね。それにそのころは「じゃあ,3日後に発表会あるから(準備して)」とか急にありましたし。
 事前になにも知らされないことも多かったです。

4Gamer:
 3日後に……?

大内氏:
 今じゃありえないですよね(笑)。普通に無理です。でも,みんな徹夜で準備しきっちゃうんです。必死に台本を書いてどうにかして,それでやっつけちゃう。火事場の馬鹿力みたいなのでどうにかしちゃう。
 これは当時の業界が今ほど整っていなかったからこそでしたし,そういうお祭り的な日々に自分も関わっている感覚がおもしろかったです。ゲームも仕事も,いい意味でより身近に感じられて,大変なときも「よしやるぞ!」という気概だけでなんとか乗り切っていました。
 ほんとにおもしろかった。

4Gamer:
 そうした昭和世代と,令和の新世代のはざまにいる身としては,どちらの意見や感想もしみじみと分かる事例です。
 レディ・トゥ・ランブル・ボクシング以降の担当はどうでしたか。

大内氏:
 その次はたしか,「NFL 2K」シリーズでしたかね。

4Gamer:
 あのゲームでVikingsの名を覚えました(ドリームキャスト「NFL 2K1」における,全体パラメータ最強チーム)。

大内氏:
 そのあとの「スペースチャンネル5」では,モロ星人(作中のダンス大好き宇宙人)をクラブに連れ歩いて宣伝しました。フロアにワーって出ていって踊って,周囲にもみくちゃにされることもありましたね。

「スペースチャンネル5」(1999年12月)
画像集 No.011のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! PSOを“「はじめまして」から はじまるRPG”と宣伝した男,大内孝悦氏(58歳)

4Gamer:
 イケイケな宣伝マンって感じですね。1990年代〜2000年代のお仕事環境というのは,やはりネットが主流ではなかったですか。

大内氏:
 セガはITの導入が早いほうでしたが,宣伝関連のネットビジネスは今ほど確立していなかったので,まだまだ足で稼ぐ仕事でした。
 僕ら宣伝部にせよ,出向先の事務所にはほとんどおらず,だいたい大鳥居(大鳥居駅近くの旧セガ本社の代弁的な呼び名)の開発にこもっていたので。年がら年中ずっと開発にいましたよ。

4Gamer:
 それはなぜに?

大内氏:
 プロモーションプランを立てるための最善は,やはりプロデューサーとの二人三脚。宣伝担当は基本,開発陣のそばにいて,フェイス・トゥ・フェイスでやり取りするのが一番です。そこは大崎(大崎駅近くの現セガサミーグループ本社)に移った今でも変わりません。
 現代はデジタル広告の時代ですが,宣伝は結局「リアルのユーザーにどう見せて,どう触れてもらうか」。時代とともに仕掛け方が変化しただけで,宣伝の性質は今も昔も変わっていませんしね。

4Gamer:
 広報は裏方とあり,大内さんの名前もネットで拾うのは難しいですが,ちょうど20年前,御社のインタビュー連載「SEGA VOICE」の「サカつく'04」裏話でも,大内さんはそうした宣伝論を語っていましたね。

大内氏:
 懐かしい(笑)。
 川越さん(川越隆幸氏。当時セガで「つくろう」シリーズ統括役)には「ジェットセットラジオ」でも「サカつく」シリーズでも,本当にお世話になりました。ちょうど「2002 FIFAワールドカップ」のころは,日本代表を絡める仕掛けも必須だろうと思い,小野伸二さんに広告に出てもらうべく,一緒にオランダまで飛んでもらったこともありましたし。
 あのころは日本代表戦のとき,みんな仕事もせずテレビの前にかぶりついたりもしていました。あとフットサルとかもやったりして。

画像集 No.012のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! PSOを“「はじめまして」から はじまるRPG”と宣伝した男,大内孝悦氏(58歳)
「ジェットセットラジオ」(2000年6月)
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「J.LEAGUE プロサッカークラブをつくろう ! '04」(2004年6月)

4Gamer:
 当時,よくニュースになっていた光景ですね(笑)。

大内氏:
 それと「ファンタシースターオンライン」。これは宣伝担当として,日本ゲーム大賞を受賞できたのがすごく記憶に残っている作品です。

4Gamer:
 PSO。私の人生初のオンラインゲームです。

大内氏:
 当時,PSOのテレビコマーシャルを制作したとき,キャッチコピーとして“「はじめまして」から はじまるRPG”とつけました。
 ドリームキャストのウリはオンライン機能で,当時のオンラインゲームでは誰しも,初見の相手にチャットで「はじめまして」と打ちました。それはボイスチャットが主流になった今も変わりませんが,PSOにはそういう未知の出会いがあると,ユーザーに伝えたかったんです。
 主演に,女優の水川あさみさんを起用させてもらったのもいい思い出です。探したら当時の写真までありましたよ。

「ファンタシースターオンライン」(2000年12月)
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4Gamer:
 その当時で,オンラインの概念を宣伝側も理解していたんですね。

大内氏:
 していましたね。そもそもうちはあの時代に大川会長(大川 功氏。当時の代表取締役会長)が,「ええかおまえら。これからの時代,ゲームはタダになるんやで」って言っていたくらいでしたので。
 正直,そう聞いたときは「それでどうやって商売するんだ?」と疑問に思いましたが,現代を見てください。まさに大川会長が言っていたとおりです。時が経つごとに,本当に偉大な人だったと実感します。

4Gamer:
 2000年代にそれは,先見の明がとてつもない。

大内氏:
 ただ,さっき自分の過去を調べていても思いましたけど,そのあとのセガのゲームハード事業撤退はなかなか衝撃でした。

4Gamer:
 私は2001年3月の「ドリームキャスト製造の打ち切り」に伴う価格改定(以降は正式価格9900円に)でDCを買った身でしたが,渦中にいたころの心境を聞かせてもらってもよろしいですか。

大内氏:
 ハード事業の撤退が通達されたとき,僕の周りはやっぱり「ああ,一時代が終わったな……」みたいな空気感が漂っていました。

4Gamer:
 大内さんとしては,ハードメーカーからソフトメーカーへの転身は,意識的にもすぐに切り替えられたのでしょうか。

大内氏:
 ハードメーカーはゲーム機自体の宣伝も行わなければならず,他社との綿密な連携も必須となります。ゲーム機というのは,作る側にとっても,さまざまな意味で「重くて大きなもの」なんですよね。
 一方,ソフトメーカーになってからは宣伝担当もソフトのことだけに集中しやすくなりました。その結果,タイトルごとのユーザー理解をより深めることができ,ロジカルシンキングが以前よりも発達したと思います。実際,転身してからは業績は上向きで,ここ10年も右肩上がりです。会社としてもさまざまな成長を遂げていることを肌身で感じています。

4Gamer:
 そこは,ファンも市場も同じ見解でしょう。

大内氏:
 個人的に,新たなマルチプラットフォーム戦略として「バーチャファイター4をPlayStation 2で出す」となったときのこともよく覚えています。このとき,大々的に新聞広告を打つことになったんですよ。
 すると裕さん(鈴木 裕氏。当時の「バーチャ」シリーズ開発代表)が「よし分かった!」と,広告向けの3Dグラフィックスを手がけてくれました。当時の技術ながら,毛穴の隅々まで綿密に作り込んでくれたんです。ただその広告は,ナムコさん(現バンダイナムコエンターテインメント)の「鉄拳」シリーズとの共同広告で,新聞一面に両作品のビジュアルを並べるという施策だったんです。でも,裕さんがVF側の素材をあまりに作り込みすぎたため,逆に問題になってしまいました。それでも裕さんは引かず,僕的には「どうなんだこれー」って頭抱えましたよ(笑)。
 この話については,ときどき社内外から「当時の原稿データはありますか?」と問い合わせを受けますが,今は議事録しか残ってなくて。

4Gamer:
 聞くだけでもおもしろい(笑)。大内さんの宣伝方針もやはり,そうした前例のないやり方を目指していたんですよね?

大内氏:
 そうですね。当時のPlayStationの宣伝は,それまでのゲーム業界の広告の文脈とはまるで違うのに洗練されていて憧れていました。2000年代前半は「いつかソニーに入りたい!」って思っていたくらいです。
 あのころ,ソニーさんには宣伝業界で有名な佐伯雅司さんがいました。佐伯さんはすごくカッコよくて,僕の憧れで,同じゲーム業界で仕事をしているってだけでものすごく光栄に感じるほどでした。
 それに当時のナムコさんの宣伝部の人もそう。あの年代を一緒に生きた人たちはもう,同じ戦場で戦った仲間みたいなものです。

画像集 No.006のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! PSOを“「はじめまして」から はじまるRPG”と宣伝した男,大内孝悦氏(58歳)

4Gamer:
 そうした過去を振り返ったのは,どれくらいぶりでしょう。

大内氏:
 ええっと,どうでしょ。10年ぶりくらい?

4Gamer:
 日々,振り返ることってあんまりないですもんね。

大内氏:
 そうですね。久しぶりに思い出してます。

4Gamer:
 ちょっと時代を進めると,2007年から宣伝部の「販促チーム」でチームマネージャーになったとのことで。こちらはいかがでしたか。

大内氏:
 それ以前はタイトルプロモーションが主でしたが,以降は東京ゲームショウの企画運営,個別イベントや販促物制作などを統括しました。
 TGSに出展するのはとてもおもしろい経験ですが,そのぶん大変で「もう二度とやりたくない!」って思うんですけど,時期がくるとそれも忘れて,またやりたくなるんです。
 ただ,最近は現地にいても「あれ,あいさつする人が誰もいなくなった……?」と少し寂ししくなりますが(笑)。

4Gamer:
 歴戦のつわものゆえに。
 TGSもまた,お祭り感覚な楽しさですかね?

大内氏:
 そうですね。ツラいけど楽しい催しです。「今年のステージは2階建てだ!」と決行したり,会期中は寝る時間がなさすぎて,お客さんが並んでいるブースの裏でぶっ倒れて寝ていたりしました。
 PS3時代は,うちも「戦場のヴァルキュリア」や「龍が如く3」など初期からAAAと言えるタイトルを豊富に打ち出していたので,他社よりも見栄えがよくなるよう,さまざまな工夫を凝らしていました。
 とくに戦場のヴァルキュリアは,プロトタイプ映像を目にしたときのことを今でも覚えています。大鳥居の大会議室で,開発中タイトルのプレゼンテーションが行われたとき,度肝を抜かれましたから。

4Gamer:
 私も,PS3の購入動機が戦場のヴァルキュリアだったので,CANVAS(同シリーズのグラフィックス表現の名称)には驚きましたねえ。

大内氏:
 キャラクターの表情や動きが,アニメそのもののように見えましたからね。しかもゲーム中もそのクオリティが保たれていました。
 あれは新鮮な驚きでした。

「戦場のヴァルキュリア」(2008年4月)
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4Gamer:
 さらに入社10年のタイミング,2009年にはコンシューマ・オンラインマーケティング部 第一PMチームのチームマネージャーになられます。宣伝から販促,からのマーケティングですが,業務に変化はありましたか。

大内氏:
 市場分析の新たな観点などには触れることがありましたが,当時セガではプロモーションもマーケティングもそれほど区別されていない時代だったので,業務の大枠はそれほど変わりませんでした。
 ただ,マーケティングの概念が深まるにつれ,「こういう作品を作るから売ってほしい」と開発主導のタイトル制作だけでなく,「ユーザーが求めている,こういう作品を作ってほしい」と,開発以外からでもアプローチしやすくなっていったのはよく覚えています。

4Gamer:
 同期の同僚はどうでしょう。社内に残っていましたか。

大内氏:
 うーん,ほぼいなかった気が。僕が中途だからってのもありますけど,今ですら当時からいる人は1人……2人……3人? もう数人くらいです。タカラ時代からの同期が,今はセガで役員をしていたりもしますが,上の世代の人たちはみんな定年退職していきましたし。

4Gamer:
 なるほど。
 では一気に進めますが,2013年にコンシューマ・オンラインマーケティング部の部長代行となり,以降は部長職へ。2020年代はアジアマーケティング部の部長,ジャパンアジアパブリッシング事業部の副事業部長とセガパブリッシング コリアのCOO兼任,2024年から現職のジャパンアジアパブリッシング事業本部 マーケティング本部の副本部長とのことで。
 この10年のゲーム業界だと,スマホゲームの台頭が大きいですが,こちらも受け入れていくまでの過程や所感はいかがでしたか。

大内氏:
 まさに大川会長が言っていた,無料でゲームを遊べる時代ですよね。結果的に見るとなかなか難しい市場でしたが,この10年で挑んでいった多くの会社さんたちと同様,僕らも受け入れて挑戦してきました。
 さらに,近年だとPCゲームが強くなっています。Steamの存在も無視できないため,どの媒体でどのように攻めていくのかは年々,ゲームメーカーとして試される共通課題になってきていると思います。

4Gamer:
 ただ,この10年の主な業務となると,やはりマネージメントに?

大内氏:
 はい。マネージメント業は性に合っていて,今は韓国のパブリッシング支社の代表も兼任しており,アジア市場や会社運営のことなど,これまで知らなかった物事にたくさん触れるようになりました。
 ですが,2010年代以降の部長職になってからが,僕がセガに入ってから精神的に一番苦しかった時期でしたね(笑)。

4Gamer:
 そんなに。

大内氏:
 でも,そういうツラい時期にスッと手を差し伸べてくれるのが,名越さん(名越稔洋氏。名越スタジオ代表)だったんですよ。名越さんとはゲームキューブの「スーパーモンキーボール」のころからの付き合いですけど,昔からそうでした。「この人はなんでこんないいタイミングで声をかけてくれるんだろう」といつも思っていました。
 だから僕にとって,あの人は恩人なんです。業界の恩人は本当にたくさんいますけど,やはり,一番の恩人は名越さんですね。

「クロヒョウ 龍が如く新章」(2010年9月)
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4Gamer:
 そういうふうに言える人がいるのは,すばらしいですね。

大内氏:
 ありがとうございます。
 僕がもし「セガにいて,なにがよかったか」と尋ねられたら,名越さんもそう,川越さんもそう,裕さんもそう。セガのレジェンドたちと一緒に仕事をしてきたことだと答えます。それが僕の誇りですから。

4Gamer:
 でも,大内さんも新人から見たらレジェンドなのでは?

大内氏:
 そんなことないです(笑)。僕はクリエイターじゃないですし。ゲームクリエイターの人たちってね,本当にすごいんですよ。本当におもしろいんです。彼らは僕にはない力を持っているから。
 横山さん(横山昌義氏。龍が如くスタジオの代表)も非常に魅力的な人物です。彼の会議は抜群におもしろいですからね。もう会議のアイデアより,彼の言葉が一番おもしろいくらい。

4Gamer:
 クリエイターへのリスペクトが強いのですね。

大内氏:
 そうです。僕はずっとそうでした。
 ゲーム開発って,当人たちが命を削って創り上げるものです。0を1にするためにいろんなものを削り,生み出したものをさらに1から100にする。僕はゲームを作れませんが,そうやって生まれ落ちたものをより多くの人たちの手に取ってもらうべく,がんばってきました。
 彼らクリエイターたちと一緒に仕事すると,毎回「つっれえー……」と思うことが降りかかってくるんですが,不思議なもので,終わってみると毎回「あー,いい仕事だった!」と思えるんですよね。

4Gamer:
 ゲーム業界の進化のスピードはどうでしたか。
 この20年,意識は追いついてこられたかどうか。

大内氏:
 仕事として食らいついてきましたが,進化が速すぎますよね。とくにゲーム業界の進化速度はどこよりも早い。
 16ビットから32ビットに。気付けばすぐに64ビット。開発費も高騰し,ゲーム作りもより大人数になって,技術であったりもデザインであったりも,あらゆる面の技術革新が恐ろしく速かった。
 ついでに,追いつけない話だと「業界用語」もです。

4Gamer:
 それは,コンプライアンスとかエビデンスとかの横文字の?

大内氏:
 そういうのもあるし,ゲーム業界特有のやつもです。なかでもうちは「セガ的スラング」が日々生まれたりするので,「それもう日本語で言えばいいじゃん」的な言葉がとにかく多い。
 一例だと「フィジカル」とかね。誰かが急に,ゲームパッケージのことをフィジカルって呼び出した。「それパッケージでよくない?」って思うのに(笑)。こうした用語は社内ですら浸透していないから,最終的に隣の席の人に「あれどういう意味?」って聞くんですよ。

画像集 No.009のサムネイル画像 / [インタビュー]ゲーム業界でがんばっ定年! PSOを“「はじめまして」から はじまるRPG”と宣伝した男,大内孝悦氏(58歳)

4Gamer:
 ありますね,そういうの(笑)。

大内氏:
 まあでも,セガには感謝しかないです。実際,セガを退職した人たちはけっこうな割合で戻ってくるくらい,いい会社ですから。
 みんな出ていったあと,ちょっとして「今ちょっといいですか?」って連絡してくるんですよ。人生の節目で辞めることになった人ほど,出戻り率は高いです。他社に行った人もみんな「いい会社だ」って言います。僕もたくさんの会社さんを見てきたので,本当にそう思います。

4Gamer:
 私が関わりある広報の方々だけでも,よく聞く話です(笑)。
 といったところで駆け足に進めてきましたが,大内さんは現在58歳。まもなく迎える60歳の定年後の展望はなにかありますか。

大内氏:
 フワッとは,うちの事業部長と世間話しているところです。
 個人的に,ゲーム業界にはせっかく20数年とお世話になってきたので,この業界でもう少しなにかしていきたいなと考えています。
 今のポジションに残ろうとは思いませんし,若くないので体力も自信ありませんし,具体的な方向性もまだ探ってすらいませんが。

4Gamer:
 定年して休みたい,とは思わず?

大内氏:
 休みたいって思ってますよ。とくにセガ入社後は駆け足で生きてきたせいで,自分のやりたいことを我慢したり,友人との時間もすべて仕事に費やしたりして,昔の友達をだいぶなくしましたし。僕だけ飲み会に誘ってもらえなくなったもん(笑)。だから,そういう人たちとの時間を仕切り直したいとは考えています。
 一方,体が動く間にしたいことはたくさんあるので,仕事も続けたい。なにもしないとボケそうですしね。どんな形に落ち着くかは分かりませんが,60歳以降もゲーム業界にいさせてほしいと思ってます。

4Gamer:
 ちなみに,やり残しがあったりは。

大内氏:
 いっぱいありますよ。いっぱいある。もっとできたと思うことは数えればキリがない。新しい挑戦だってそう。体の老いには勝てませんが,僕にはやっぱりプロモーションが性に合ってた。
 宣伝ってのは,自分が楽しめないとモノコトの良さを伝えられません。自分が嫌いな料理を他人に「これおいしいよ」と言っても伝わりません。いいものが売れるとは限らなくても,いいものじゃないと売れない世界ですから。やっぱりダサくは売れないですよ。
 だから,自分が楽しく思えるようなことをしてきた。それも全力で。

4Gamer:
 全力で。

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大内氏:
 そう。友達に「俺すっげーうまいもの食ったんだけど,この場所で食べたらすっげーうまかったんだけど,おまえも食べてみない? 今度一緒に食べようよ!」って言われたら,みんな気になるのと同じ。
 最近の「インフルエンサーが楽しんでいる姿」もいいですよね。それが近年のユーザーに受け入れられているのは,単に流行だからではなくて,誰かが本気で楽しむ姿を見ることで,みんな「食べてみよう」「やってみよう」ってなるわけで。宣伝ってそういうものだと思いますし,ゲームの宣伝の根本もそうであっていいと思うんです。

4Gamer:
 ふむふむ。

大内氏:
 結局は口コミ。これに勝るものはないです。「これおもしろいけど知ってる?」って仲間に言われるのが一番の宣伝です。
 僕がやりたかったことも,そういう人をどれだけ作り,どれだけ接触の機会を生み出せるか。開発の人をリスペクトして,よりいいものを作ってもらって,それを僕らが全力で売る。そこに尽きました。

4Gamer:
 金言をありがとうございます。
 大内さんはやっぱり,ゲーム業界を楽しんでこられたようですね。

大内氏:
 楽しかった。今でも現場にいたころの楽しさを思い出せます。
 若いころはいろいろな選択肢があって,何度もハンドルをきってきましたが,いろんなゲームと出会ったし,いろんな人とも出会ったし,いろいろなところにも行かせてもらって。「新作はこんなふうに宣伝するのはどう?」と,みんなで夜中までギャアギャアやっていた日々を振り返ると,終わってみれば,本当によかった。
 今の若い子たちには「苦労は買ってでも〜〜」なんて通じないかもしれませんが(笑)。ああいう時代に,こういう人生を歩んできた僕は,胸を張って「おもしろかった!」と言えます。

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