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なぜ蝦夷富士はもの哀しいのか? 「Ghost of Yōtei」を歩いたあとに見えてくる,北の大地に生きた人々と土地の物語
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印刷2025/11/08 17:00

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なぜ蝦夷富士はもの哀しいのか? 「Ghost of Yōtei」を歩いたあとに見えてくる,北の大地に生きた人々と土地の物語

広大な湿原と森,そして彼方にそびえる羊蹄山。山頂の雪は日差しにきらめき,麓を流れる川は静かに大海へ注ぐ――。

 Ghost of Yōteiの舞台として登場する,蝦夷地。その風景は現実の蝦夷(現在の北海道)を想起させるものとなっているが,さらにそこに,苛烈な決意を背負う復讐者・篤の心象が重なり,単なる自然描写を超えた深みが生まれている。

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 ソニー・インタラクティブエンタテインメントが2025年10月2日に発売した「Ghost of Yōtei」(以下,ヨウテイ)は,Sucker Punch Productionsが手掛けるPS5用オープンワールドアドベンチャー。舞台設定を慶長8年(1603年)の蝦夷地に置きながら,さまざまな時代や場所のイメージを大胆に重ねた作品だ。

 主人公・篤(あつ)が「羊蹄六人衆」を追う復讐劇は,宮本武蔵や佐々木小次郎ら剣豪たちが果たし合う時代を思い起こさせるが,その乾いた荒野の空気は,西部劇やマカロニウエスタンのイメージも色濃い。時代劇と西部劇,互いに影響し合ってきたふたつの文法が,静かに融合したかのようでもある。

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 では,なぜSucker Punch Productionsは,時代劇への深い敬愛とリスペクトを感じさせた「Ghost of Tsushima」(以下,ツシマ)の続編の舞台としてこの北の大地を選び,新たなゴースト――「怨霊」の物語を描いたのか。
 そこには,単なる舞台の変化ではなく,「土地そのものが語る物語」を描こうとした意図があったように思える。本稿では,羊蹄山に象徴される“土地が持つ力”“人の想いの重なり”という視点からその背景に迫っていく。

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※本稿ではゲーム本編クリア後の内容や演出に触れています。これからプレイ予定の方にとってネタバレとなる可能性がありますので,未プレイの方は閲覧にご注意ください



篤の物語と本作の「真の主役」


 本作の物語はシンプルだ。家族の仇である羊蹄六人衆を追い,主人公・篤(あつ)が復讐を果たしていくという骨子で進む。ネタバレに配慮して詳細は避けるが,苛烈な復讐の途中,ある事をきっかけに篤の決意は揺らぐ。
 という説明でまとめると,物語自体は一見“このジャンルらしく”まとまっており,そのメッセージ性は「ヨウテイ」ならではのものとは感じられないかもしれない。前作「ツシマ」を知る人であれば,石川先生や政子など,強烈な個性を持つ登場人物が物語を補強する構成だったのとは対照的とも感じるだろう。

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 ただ,それは“あえての構成”であるようだ。実際にゲームをプレイして見たものや開発者インタビュー(リンク)で聞いた話を合わせて考えるに,「ヨウテイ」の真の主役は羊蹄山に象徴される蝦夷地の自然そのものと思われる。
 本作のクリエイティブディレクターのJason Connell氏は,同インタビューにて北海道を訪れた際のエピソードをこう語っている。

「資料収集の旅で北海道の各地を回りましたが,洞爺湖から羊蹄山を見たときの感動は忘れません。『これはすごい』と,大きなインスピレーションを受けました。(中略)そして,それでいて孤独で,ひとりで立っている――それが物語の主人公である篤のイメージにすごく重なったんです。」

「彼女は人生の中で大切な人をすべて失って,孤独の中でその物語が始まります。でも同時にとても強い存在で,多くのものを背負っている。洞爺湖から見上げた羊蹄山はその象徴になるだろうと,私はこのつながりをとても気に入りました。チームとしても同じだったと思います。」

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 遂に発売日を迎える,SIEのオープンワールド時代劇アクション最新作「Ghost of Yōtei」。蝦夷地(今の北海道)での復讐劇を描くその物語は,時代劇と西部劇,そして日本の土地と文化に誠意をもって作られた。Sucker Punch Productionsの創作の考えにも触れられるクリエイターインタビューをお届けしよう。

[2025/10/01 20:00]


蝦夷地の圧倒的なまでの美


 本作で描かれる蝦夷地の美しさは,もはや言葉では言い表しにくい水準だ。四季をテーマにした「十勝ヶ峰」「石狩ヶ原」「名寄ヶ沢」「天塩ヶ丘」「渡島ヶ浦」といった地域。その正確なライティングが施された風景は真に迫るものがあり,その完成度はロケーション・ツーリズム(いわゆる聖地巡礼)へと誘う。作中と同じ風景を求めて北海道を訪れる人々が,今後増えることは想像に難くない。

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 さらに,その風景の描写は単なるビジュアルに留まらない。霧が立ち込める丘を進むとき,風の音や鳥のさえずり,足元の草の揺れ,野生動物との遭遇など,細部にわたる描写がプレイヤーの感覚を刺激する。
 これは単なる演出ではなく「風景との対話」ともいえるもので,プレイヤーの心理的な没入感を大きく高めてくれる。この風景を前に個人的な記憶が蘇り,束の間,自分の過去と向き合うこととなった人もいるのではないだろうか。

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 その蝦夷地に息づくアイヌの人々の描写は,控えめではあるものの誠実さが感じられるものだった。

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 アイヌの人々の文化は,蝦夷地の自然と深く結びついている。山,川,森,湿原は単なる背景ではなく,彼らの生活や信仰の対象であり,同時に交流や交易を通じて和人社会との関わりを持った場所でもあった。

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 ゲーム内での彼らとの取引は,和人相手とは異なり,金銭ではなく物々交換で行われる。服飾,入れ墨,収集品,そしてイオマンテ(熊送り)やオキクルミの伝承などを通じて,その文化の一端が示される。これらの要素は,篤や斎藤たちが体現する「荒々しき自由」とは異なる,土着的な精神性を浮き彫りにする。

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フィクションの重ね合わせ──戦国の残響と郷土富士


 一方で,篤をはじめとする蝦夷地に渡った和人たちの描写は,史実を踏まえながらも物語としての創作性が強く打ち出されている。

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 史実を紐解けば,和人は室町時代後期から江戸時代初期にかけて蝦夷地へと移り住み,南部沿岸の松前を拠点に交易を展開していたと伝えられている。
 そのころの蝦夷は稲作に不向きな土地であり,内陸の山や森は深く,外から来た人々を容易には受け入れない,厳しい自然が広がっていた。
 1457年には和人とアイヌの人々のあいだで衝突があり,道南の十二の館(武士が築いた館)で戦いが起こった。のちに「コシャマインの戦い」と呼ばれるこの出来事は古くから知られているが,「ヨウテイ」の時代やそれ以前の蝦夷に関する文献は少なく,歴史の記録としては大きな空白がある。
 その記録されていないものの中に,記されなかった声や綴られなかった物語を想像することは,この地を舞台にした物語を読み解くうえで欠かせないだろう。

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 話を「ヨウテイ」の蝦夷地に戻そう。本作の主人公・篤の家族は,長篠の戦い(1575年)の際に故郷を追われ,蝦夷地に移り住んだという設定である。
 長篠の地は現在の愛知県にある。そして篤の過去の回想場面の「〜さ」「〜だら?」といった語尾は,愛知や静岡に今も残る方言だ。実際には複数の方言を組み合わせ,地域を特定しすぎない表現を目指したのかもしれないが,そのふたつは特に印象に残る使われ方だった。
 かつて東海地方で暮らしていた刀鍛冶の一家が,富士にも似た羊蹄山のふもとに家を作る。その意味合いは明白だろう。羊蹄山に郷里の山を重ねた,望郷の念そのものだ。

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 そして六人衆の首魁・斎藤の装束も,プレイ中に深く印象に残ったポイントだ。
 赤と黒を基調にまとめられ,全体としては「赤」の印象を持つ装束に,陣羽織には虎の刺繍。これは,富士を挟んで北に割拠した甲州の虎・武田信玄,あるいはその精鋭「赤備え」をイメージさせる。

 もちろん長篠の戦い当時は勝頼の代であり,本人ではありえない。だが,当時駿河や遠江(現在の静岡県)にまで勢力を伸ばしていた武田家の縁者や,その敗残の系譜に連なることを想像させる。あるいは斎藤は,清和源氏の末裔・武田氏の威光にあやかり,「蝦夷の将軍」たらんとしたのかもしれない……などと,さまざまな空想を抱かせてもくれる。

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 安土桃山時代の始まりとほぼ同時期に本土を追われた者たちが,蝦夷地に逃れ,異なる土地で暮らしを興す。この構図は,時代は異なるが,戊辰戦争後の敗残の会津藩士なども連想させる。本土で敗れ,北の大地に居場所を作る。そこには歴史的なフレーバーとともに,何かを失ってもなお生きようとする人々の姿が,時代を超えて重なり合うようだ。

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 ちなみに会津(現在の福島県)の山,磐梯山は「会津富士」とも呼ばれる。江戸時代中期には富士を神聖視する富士信仰が一般化し,人々には本物を観たことがなくとも,富士に対する思い入れのようなものはあったらしい。それが日本各地に残る「郷土富士」の源流となっている。

 もちろん史実では,羊蹄山の「蝦夷富士」という呼び方が定着したのは,開拓が本格化した明治以降であろう。篤たちの時代にこの呼び方はなかっただろうし,前述のインタビューでConnell氏も,それらの歴史的背景については強く意識していなかったと語っている。
 
 だが,敗れた者の物語が富士山や羊蹄山を触媒に,図らずして日本の歴史や文化とのリンクを感じさせるものとなった。このあたりの解釈や意味合いを読み解く楽しさは,日本の歴史や文化に親しんでいるプレイヤーほど,より豊かに感じられるはずだ。

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タイトルと物語に込められた意味合い


 さて,本作の羊蹄山や蝦夷地に幾重にもイメージを重ねた構造は,羊蹄山を「蝦夷富士」と呼んで愛した人々の心と,どこか通じるように感じないだろうか。

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 「ヨウテイ」は世界市場に向けたタイトルであり,厳密には「時代劇」そのものというよりも,時代劇とウエスタンの要素が混ざり合った別のジャンルに含まれるだろう。
 クリント・イーストウッド監督/主演の同名作品をリメイクした渡辺 謙主演の映画「許されざる者」(2013年)の影響も強く感じさせる。記録上は「空白」だったこの時代の蝦夷地を,現代の我々に魅力的に感じさせるための,いわばカルチャライズとでもいえるものだろうか。

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 しかし,随所に作品を作り上げた人々の時代劇への確かな愛を感じることも確かである。羊蹄山を「蝦夷富士」と呼んで愛した人々の,本土や和の文化への「愛」が本物であったように
 羊蹄山はけして本物の富士ではないように,「ヨウテイ」は本物の時代劇ではない。だが,そこにこめられた和の文化やジャンルへの愛は本物ということだ。

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 なぜ本作のタイトルは「Ghost of Yōtei」だったのか。タイトルの発表時,きっと多くのゲーマーや前作ファンは不思議に思ったかと思う。たしかに地名がタイトル名にあることは前作に引き続きではあるが,このように考えれば納得しやすいのではないだろうか。
 本作の真の主役が羊蹄山が象徴する蝦夷という土地と自然であるなら,ごく自然なタイトル名であると。

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 記事の冒頭では本作の物語について「メッセージ性は『ヨウテイ』ならではとは感じられないかもしれない」と述べたが,じつは筆者自身はそうは考えてはいない。なぜなら,この土地の持つ精神性が,ゲーム内で見つけた「斎藤の手による文章」に記されていたからだ。

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 それは彼の行動原理を伝えるとともに,蝦夷に暮らす人々や,蝦夷地そのものの叫びとも受け取れる。
 当地の歴史を知る者は,そこに複雑な意味合いを感じとったはずだ。とはいえ,斎藤の勢力もまたアイヌの人々からは敬遠される和人にすぎず,あくまで彼は先に入植した自分たちにおいての「自由」を言っていることに留意する必要はある。
 だが,その根底にあるのは「支配への拒絶」である。

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(以下引用)

「幕府」

我らはいずれも幕府の受難者
追い払われ 見捨てられた者たち
我らを皆殺しにせんとする企みはついぞ頓挫した

蝦夷地の美とは荒々しき自由の中にこそある
御することが叶わぬものを幕府は恐れる
それゆえこの土地を牢として囲いたいのだ

この命を賭してでも阻止してみせる



「松前ども」

松前どもは蝦夷地に秩序をもたらすと口にするが
その実 この地を幕府の手に収め
自らの利を得んとする魂胆は明らかである

すでに自由な往来は制限され
不要の関所は築かれ 手形を求められる
戦わねば 今の蝦夷地は子の代には跡形もなくなるであろう

(引用おわり)


 その斎藤を,篤は個人的な理由で討つ。本作の物語はシンプルな復讐譚でありながら,それだけではない意味合いを帯びたものであることが伝わるだろうか。

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 「ヨウテイ」のオープンワールド設計は,驚きを狙ったものではない。むしろ古典的であり,奇をてらわず美しい自然に触れさせてくれる。
 そのコンセプトは「レッド・デッド・リデンプション」シリーズ,ロケーションやアクティビティの配置や誘導は「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」の強い影響を感じさせながら,忠実に,より親切に発展させた「優秀な後継者」といった印象だ。

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 旅先で銭を稼ぐための賞金稼ぎ,または自身にかけられた賞金を狙う浪人との「切った張ったのやりとり」は,シンプルながらも痛快で,「剣豪もの」としての大きな魅力となっている。
 また,各地のイベントをある程度並行して進められる自由度の高さが,広大な蝦夷地という舞台をプレイヤーの興味の赴くままに旅する「流浪人」「股旅もの」としての没入感を深めている。

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 そして繊細かつ雄大なビジュアル表現により,プレイヤーの心理的な没入感はほぼ類を見ない域だ。ゲームの世界に現実の自然や文化,歴史的な背景が重なることで,プレイヤーは時と場所を超え,蝦夷地,そして北海道という「土地」に心を寄せることができるのだ。
 それは自由に舞台を旅できるオープンワールドというジャンルと,圧倒的な相性の良さを感じる体験だった。映画などの映像作品とはまた違う没入感を伴いつつ,蝦夷地を「感じる」ことができる。

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 特に,羊蹄山をはじめとする自然の風景は,篤の視点でゲームを遊んだプレイヤーにとっても「心の拠り所」となったに違いない。山頂からの眺望や,霧に包まれた森の中での静寂など,自然の美しさ厳しさが,プレイヤーの感情に深く響く。

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 引用の通り,斎藤は「今の蝦夷地は子の代には跡形もなくなるであろう」と危惧していた。しかし,篤の家族も,斎藤ら羊蹄六人衆も,松前の侍たちも去った今の時代もなお,その雄大な自然は残り続けている。この先何千年かが過ぎても,その姿は変わらないのではないだろうか。

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 「ヨウテイ」は,その土地が持つ永続的な力と,そこに生きた人々の儚い想いを,美しく,そして苛烈なフィクションで描いている。月並みな表現で申し訳ないが,一度は触れてみるだけの価値がある作品なのは間違いない。

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